die Mondsichel @ Rosebud

「月鎌/Fの中のMの中のF」美少女ゲーム論別館。

2007-02-02

[]春夏秋冬マシンガン 15:21 はてなブックマーク - 春夏秋冬マシンガン - die Mondsichel @ Rosebud

昨日のkamimagiさんとcrow_henmiさんのラジオでの、涼元氏の文体についての話で思いついたこと。

「やかま進藤」に代表されるようなマシンガントークというものも「ボイスが付くことで可能になった表現」なのかもしれない。

ノベルゲームの登場で、1ページに表示できる文字数は増えたとはいえ、人間の文字認識能力には限界がある。せいぜい2行が限界の従来ADV、メッセージウインドウ方式では改ページ必至の分量におよぶ一気呵成のまくしたては不可能であり、ノベルゲームといえどもテキストを書いてみればページを突破するのはそれほど難しいことではないにも関わらずやはり改ページは御法度である。文脈が途切れるのを承知でクリック待ち命令を入れるか、流してもいいという覚悟で前へ進むかという選択に、ボイスというパーツが加わることで、目ではなく耳を動員することで一時的にテキストを従にして乗り切ることができる。見方を変えれば、ボイスがテキストを「完全に乗っ取る」瞬間がここに発生する。

以前『ナルキッソス』について本店で書いたように、テキストはボイスに比べてたしかに無味乾燥なものとなる。慟哭、嗚咽といった心情発露そのものがその代表格である。そういった文字表現自体の限界に加えて、システム上の限界が存在する世界に、同時進行で動きながら、「一時的に主従を逆転させてテキストの表象を支えるもの」としてのボイスの登場は、「女の子がしゃべる」という単なる臨場感増加のターニングポイントとしてのみ扱ってはならないのではないかと、ふと思った。テキストの限界にボイス上積みするのではなくて、ボイスがあることで一時的にテキストの限界を押し上げるというか*1。直感で書くとダメだなw。


システム的な限界と、人間の文字認識能力の限界と、シナリオ・作者意図・演出のせめぎ合いがよりシビアなのがアクションゲームであることは言うまでもない。見てると落ちる、読んでると落ちる、聴いてると落ちる。散々痛い目にあったっけ。

(そのへんはRSOじゃ身に覚えもあるんだけど……orz)

*1:『エースコンバットX』のようなテキストと音声が一致しない場合についてはまた話が異なる。たぶん。

ともよともよ2007/02/14 15:07逆にト書があることでボイスの可聴範囲が広がる点も考慮範囲かと。