die Mondsichel @ Rosebud

「月鎌/Fの中のMの中のF」美少女ゲーム論別館。

2007-06-09

[]幕引きとしてのファンディスク 00:22 はてなブックマーク - 幕引きとしてのファンディスク - die Mondsichel @ Rosebud

 えーっと、いつもながらまったくまとまってません。念のため。


「そうだ。この王国になんの価値がある? ……だから滅ぼそう、この国を」

 榎木洋子『ブルー・ムーン 影の王国12』より。常連さんには毎度おなじみのフレーズですが、と。



 消費対象である物語は、終了後「非日常なき惰性の日常」に叩き落とさない限り幕が引けない、という現象がある。良くも悪くも消費者想像力によって補完され、仮想の参加構造を持つ作品群は、そこに「楽しめる要素」がある限り消費者をそこから引きはがせない*1。あるいは確実に「参加できない状況」を作り出さなくてはならなくなってしまう。稲葉振一郎モダンクールダウン』風にいうならば「テーマパーク」を、作り手の手で閉園しなければならない。


 『新機動戦記ガンダムW エンドレスワルツ』は、その意味で見事な「閉園」の物語として機能した。「五飛、自爆スイッチを押せ!!」「俺達はあと何人殺せばいい?!」という言葉はあまりにも暗喩的だ。幕引きがされない限り、五飛は消費され続ける立場に残り、ヒイロはどこまでも殺し続けなければならない。「恋愛戦争」視覚的には「負け犬」である五飛は、「テーマパーク」的な見方に寄れば消費対象のお立ち台にいることに固執したという読み方ができる。

 逆に言えば、閉園がされない限り、ある程度の客はそこに残ってしまうということでもある。幕引きは新規のテーマパークを立ち上げようとする経営側の理由でもあるといえるだろう。


 この理屈に従えば、「ある程度の二次消費を見込んだ作品にとって、投げっぱなしにしておくのは戦略のひとつである」という前提に、「いずれ別商品のためにそこからユーザーを引きはがさなければならない」という行為を必然として見ることになる。


◎「最近は『その先』の性生活だけを別商品にする商法確立したので、あえて交際後を描く必要が無くなってしまった」という見方もあり得る。「結ばれたあと」だけで別商品になってしまうのであるからして、それはたしかに「その先」を一作品内で描ききる必要がないよな、という説。

◎「その先」を描いてしまうことは「二次創作の余地」に干渉してしまう、したがってオフィシャルでそれを固めてしまうことは必要ない、という説。

http://rosebud.g.hatena.ne.jp/Kadzuki/20061109/1163085097

 以前私は『CLANNAD』に関連してこのように書いていたが、このうち後者に関連する。このときの私は単純に「ロングスパン物語」の少数性のみを考えていたのだが、現在私が考えることは、その始末の話。


 波乱を越えて片付いた二人が、最終的に「いちゃいちゃするだけ」の日常へと移行し、「面白くも何ともないマンネリの日常」になる、「もう彼らはSSネタにもならない、文字通りの『やおい』以外の創作が引っ張り出せませんよ~~~」と宣言するためのツールとして、「ファンディスク」を見ることができないだろうか、ってこと。ひいては、「そこまでやって」物語を閉めなければならないのは、創作者の義務として位置づけられ得るのか、という話*2


 単純に「過去の遺産で食っていく場当たり的な経営」と見るのか、それとも「二次創作誘発をコントロールし、次回作までの時間を繋ぐ計画的犯行」*3と見るのかは、もちろん内情を知らないと断言できない。「キャラクター解放」までいくとこれはもう飛躍のしすぎだが、『ゆんちゅ』などの事例を見てると「創り手の手でテーマパークを閉園する必要性」というのは、あながち飛躍と妄想の産物というだけでは無いのかも知れない。



 『ズッコケ三人組』「ズッコケ友の会」『ズッコケ中年三人組』との比較、『マリア探偵社』「マリ探ファンクラブ」については継続思考とする。

 

 ……バカゲーの話をするはずがなんでこんなこと書いてるんだ……?w

*1:「読者の想像力でリアリティを補完する」ってのはサルトル的なものらしい(ぉぃ)が、そこまで難しく考えなくとも「浦安着ぐるみ村は想像力というドーピングがなければ意味がない」という話で十分だろうw。

*2:もちろんいくつかのブランドの所業はその見方の否定に十分なものだが……。

*3:参考:FEAR社が『SEVEN=FORTRESS Advansed』までの繋ぎに『リーンの闇砦』を展開したケース

    2007/06/16 09:07ファンディスクの話で思ったこと。
同人系統のゲームとして有名なFate(企業化してますが)とひぐらしそれぞれの本編及びファンディスクの内容を見るに、各々のサークルにおける2次創作への考え方の違いがはっきりと見えてきます。
まず、Fateの方はファンディスクで本編のキャラ達が楽しくおかしくやりたい放題やるというよくあるパターンですが、
最後の方でこれらは仮想世界に過ぎず、現実には死んだ人達もいる。そこから現実に帰還するという展開になっています。
この事から、Typemoonの人達には「2次創作をしてもいいけど基本的な設定は曲げないで欲しい」という考えがあると思われます。
その裏付けとして、後述するひぐらしには月姫のパロキャラの使用許可が出ていますが、竜騎士07さんはこう釘を刺されています。
「ファン活動であるならば、愛情のある引用であるならばいい。ただし、オリジナルキャラの印象が貶められるようなものだったならいつでもその許可を取り消すことができる」
一方、そのひぐらしですがファンディスクでは本編の補完であるシリアスな小話とぶっとんだショートギャグ2作で構成されています。
ですが、シリアスな話の方に関してはは「第9話ではない。あくまでも最終話の後の時系列の話」と語っています。
そして、原作最終話の裏EDにおける「If」の世界。制作日記における「同人世界の自由」についての発言。それらをまとめると、
「全ての設定とゲーム盤は用意したから好きに遊んでいいよ。ただし、こちらは基本的に関与しないので全て自己責任で」
というスタンスを取っているのかなと思いました。

某所でも同じような事が書かれていましたが、個人的にもそう感じたので…