die Mondsichel @ Rosebud

「月鎌/Fの中のMの中のF」美少女ゲーム論別館。

2008-10-30

[]凌辱ゲーにおけるモノとケモノ 21:42 はてなブックマーク - 凌辱ゲーにおけるモノとケモノ - die Mondsichel @ Rosebud

 下の「高齢化」の話とも繋がるが……。

 いつからか、鬼畜ゲーの方向性がオッサン趣味になっているように思う。というかねちっこくなっているように思う。支配の方向性が変わってきている、とでもいうのか、わざわざ「(強制的に)欲しがらせる」「(強制的に)求めさせる」のが、俺の好みからすればうざったくて、気持ち悪いのである。「被害者たるヒロインも発情したケモノに過ぎない」といわんばかりの前世紀的で団塊的な官能小説の匂いしかしないのである。端的に言うならば変態度が歪な方向に強いのである。


 ここには鬼畜ゲーにおける対象層の変化が見える、と俺の主観は強弁する。

 エロゲー黎明期こそ頭と股の緩いヒロインがやたら多かったが(『ドラゴンシティ』とか数多のナンパゲーとかな)、ある程度パソコンが普及したエロゲー展開期、特に『悪夢』『絶望』において、ヒロインはモノであった。偶像であった。凌辱されているにも拘わらずびしょび(検閲削除)たり、絶頂にのぼr(検閲削除)なんてことはなく、ひたすら恐怖し、悲鳴を上げ、最後には壊れる存在だった。調教ゲーは「人為的にそうさせている」のだから例外的に見られていた。

 ところが現在、そんなヒロインどころか鬼畜ゲーすら少数派なのである。あの頃はもはやギャグの域だった『堕落の国のアンジー』や『学園ソドム』のような卑語やピーに溢れたエロ状況自己申告が、今じゃ「純愛ゲー」でさえ使われている始末ではないか。


 陵辱者は美少女幻想を抱けていた世代から、美少女だって本性はこんなもんだと憎悪を込めて口にする世代へと年をとった――。俺にはそんな風に思えてならない。そんな俺は未だに『悪夢』に囚われている。