die Mondsichel @ Rosebud

「月鎌/Fの中のMの中のF」美少女ゲーム論別館。

2010-05-12

[]天使のいない非実在 03:31 はてなブックマーク - 天使のいない非実在 - die Mondsichel @ Rosebud

 刑法典の上では、少女の自己の身体は13歳から性的自由を認められており、性的に処分可能である(12歳までは合意の上でも逮捕されるという意味で)。

 民法典の上では、少女は16歳から婚姻可能であり、それはほぼ必然的に性的自由を肯定されている。

 つまり、実在少女においては、売春防止法や育成条例の定義する淫行を除いて、合意の上であれば性行為が認められている。また、育成条例の定義する淫行は「性的欲求の充足」という限定解釈の上にある。


 これらの法的・法解釈的事実から言えることは、実在の18歳未満の少女であっても、「金銭的利益」「性的欲求」以外のものを充足する形での「性行為による関係性」は合法的に為しうる。要するに、『天使のいない12月』、あるいは『se:きらら』などに描かれる「性行為によって孤独や無気力が充足される関係」は、少なくとも刑法典および民法典の上ではまったくの合法行為なのである。また、『殻の中の小鳥』のクレア、『女郎蜘蛛』の蝶子のような、囚われの自己を一定の感情の下に肯定してしまうタイプのヒロインも、彼女ら自身の処分権がわずかながら存在すると読むことも出来る(吉原もの、遊女ものの時代小説と同様に)だろう。


 このような「不安定で多感な青少年」の関係性は、文字および画像・映像メディアで描写される上では時間および紙幅において高比率の性描写を含有せざるを得ない。まともに彼らの生き様を描こうとすれば、それは必然的に比率やコマ数という杓子定規な規制に引っかかる。彼女ら自身の生き様を描くことが、小説に許されてマンガやADVに許されないというのは、あまりに不条理であると言わねばならない。

 そして同時に、想像力の産物である「非実在青少年」「非実在少女」に「権利」を擬制するというナンセンスな主張は、彼ら彼女らの生き様に対して束縛を課し、彼ら彼女らの精神的自由、身体の自由という権利を完全否定する、きわめて明白な矛盾をはらんでしまう。


 「実在少女」が合法的に為しうる自己身体の性的処分権に触れず、「非実在少女」にはいかなる文脈であっても一律に当該処分を認めないという矛盾は、まるで性体験済み率が高い実在少女を無視して二次元ヒロインに傾倒し、当該ヒロインが非処女であった場合に発狂する「行き過ぎたオタク」と何の違いもないメンタリティではないか。『殻の中の小鳥』『女郎蜘蛛』『天使がいない12月』にのめり込んだ私には、規制派も結局のところ「処女厨」にすぎないと白眼視せざるを得ない。本当に彼女たちに権利を認めるなどということを擬制するのであれば、彼女ら自身と、彼女らが選んだ居場所を肯定するところから始めるべきだと思うのである。