die Mondsichel @ Rosebud

「月鎌/Fの中のMの中のF」美少女ゲーム論別館。

2011-03-18

[]ええいリファスパムが鬱陶しいわ! 01:31 はてなブックマーク - ええいリファのスパムが鬱陶しいわ! - die Mondsichel @ Rosebud

ということでたまには更新する。といっても内容がないよう


どうも美少女ゲーム考察的には割と主流の東系よりも大塚物語論と若桑・渡部少女メディア論寄りに振れてからあんまり進歩がねえなあと自分でも思っているし、流行りのループ物は好みではないし、で加えて最近エロゲの好みが尖りすぎてどうもなあ、状態なのである


……というわけでそろそろリハビリ開始する。まずは比較的おとなしいのをひとまわりするかね。

2010-09-28

[]夢見る少女じゃいられない Ah! 03:05 はてなブックマーク - 夢見る少女じゃいられない Ah! - die Mondsichel @ Rosebud

最近の思考(嗜好)


○「物語被支配型」凶行ヒロインという存在について。

 ・「夢見る少女じゃいられない」型……竜宮レナ

 ・「もう私には何も残っていないから壊す/世界に復讐する」型……間桐桜園崎魅音詩音

 ・「物語の主役はあくまでも私」型……桂言葉

 ・「私の恋が許されない世界なんて要らない」型……当真未亜


 ……これら少女を束縛するのはまさに日本少女小説価値観、ひいてはジェンダー支配とそれに伴う共同性そのものであって、彼女たちを嗜好することは一面において日本少女小説価値観の反射効を追認することでもある。笑顔で暮らしていれば必ず幸福がやってくる(わけがない)、王子と出会い結ばれるためには森の乙女や姫君でないとならない(姫君の資格とされているものが奪われたらどうなる)、一途に思っていればいつかは報われるしそうでない「ふしだらな」女は勝者にはなり得ない(そんなわけがない)、という各種の物語依存し、裏切られる少女を嗜好することは、結局のところ「物語従順少女」「物語による教育をまともに信じている少女」への偏愛である。下世話に言えば「もう処女じゃないから王子様とは結ばれない、だからみんな壊してやる」と考えるメンタリティへの偏愛である(むしろ消費側のメンタリティ日本少女小説ジェンダー観が内面化されてるんじゃないかと思われるあたり、ある意味処女厨」よりも凶悪だとさえ思う。もちろん俺も含めて)。


 しかし逆に、彼女たちと対極にいる少女、たとえば西園寺世界や遠坂凜については欧米少女小説価値観に近くなるかといえばそうではない。能動性、主体性を持つ少女を描く一方でフルバック男性を配さないと言うことはエロゲというメディアではきわめて困難だからである。たとえば彼女たちの夢と能動性を完全に肯定し、主人公と別れて去っていくヒロインを送り出す(そして二度と関わらない)主人公はエロゲというジャンルで成立しうるだろうか(少女漫画で言えば『パラダイスキス』の結末のような)。なのに「いつか戻ってくる」のが前提なのである。「別に戻らなくていいだろうが! 足手まとい、あるいはついていくことを決断できなかったような男をわざわざ回収しに来る必要なんて無いだろう!」と専門職アウトロ志向の俺なんかはかなりイライラする。


 とまあそんな具合に米沢嘉博日本少女マンガ史』の「少女漫画の今後」を想定しつつ、日本男性オタコンテンツにおける「日本少女小説」「日本少女漫画」の支配力、あるいは少女への憧憬・同化願望(ロリコンと呼ばれるもののほとんどは実のところ(先進国文学において)「一足先に自由になった」少女への羨望だと俺は思っている)について最近ごそごそ考え中。