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2006-12-29

[] 人称について  人称について - こぐにと。 cognit. を含むブックマーク はてなブックマーク -  人称について - こぐにと。 cognit.  人称について - こぐにと。 cognit. のブックマークコメント

一人称とかについて、寝る前にメモ書き程度に少し書いておきます。

まず過去の記事のリファー。語用論的な観点から麻枝シナリオの一人称性を考察しようとしたのが、http://d.hatena.ne.jp/cogni/20060925にあります(プライベートモードですが)。麻枝准の歌詞における「この」「あの」などの、代名詞使用の特徴についての記事として、http://d.hatena.ne.jp/cogni/20060808など。ほんの触りばかりですが、とりあえず今現在考えているのは、「わたし」を利用しているからと言って一人称のわたし性みたいなものが出てくるのか、と言う問いについてです。それへの答えとしては、ノーではないかなと。それは恐らく、AIRには父親が出てこないからAIRには父性がない、とか、AIRの主人公はカラスになってしまうから傍観者である、と同種の間違いではないでしょうか。ちょっとクリティカルじゃないかなと。

例えば、上記リンクでも少し書いているように、「わたしは上を見た」と「わたしは天井を見た」としたほうが、わたしを少し遠く感じる、というときがあると思います。「わたしはあれを見た」と「わたしはペンを見た」も同様に。二つの例の前者においては、代名詞的性格を帯びる語を使っており、そうした語の利用が感情移入を高める効果を持つのではないか、というのが当時の仮説でした。つまり、代名詞によって対象を指示することで、指示する主体がより瞭らかにされる、という。FregeのSinn/Bedeutung”的”な分け方だと、同じBedeutungをどうあらわすか、という点で、わたしのわたし性というのが瞭らかにされるのではないか、という。より日本語に近づけるなら、吉本隆明の自己表出/指示表出でも可。いやむしろ吉本のほうが文芸には応用しやすい。というか、人称研究はどっかの文学研究でやってそうなんですけれど…。

まぁとりあえずこれをベースでいけば、「三人称ではこうした代名詞的な語の利用ができないから、感情移入がしにくい」という仮説が作ることができます。例えば、AIRのAIR編においては、語彙の少ないそらが主人公ということもあり、代名詞的な、素朴な語の使用が多い、という事例が…というのは嘘で、そらは内言でもあまり喋らないので…。仮説を補強するような具体例が手元にありません。

あと感情移入については、Husserlもイデーンで言及してるようなので(ただし原文読んだことはない)、そういうのも参照したほうがいいかもしれません。Merleau-PontyのVisible and Invisibleの中で提唱されているキアスム(『メルロ=ポンティ コレクション』にも採録されてます)とか。こっちは読んだ。まぁ、感情移入などは、現象学と愛称の良い問題ではありますでしょう。Winnicottを読もうかな、と前言ってたのは、ちょっと違う文脈ですが、精神分析や発達でも興味深い問題であります。

あと、関連で、http://storybook.jp/note/?d=2006-07&m=month#/note/note060703.htmのあたりを読んでて、アニメーション表現についてまとめた本はあるのかしらん、と思いました。あまり知らないんです。他にも例えば、アニメとかドラマとかで、ある人物の視野をそのまま映像として映す、ということがありますけれど、あれは一人称的というよりも、なんというか、もっと異化作用を狙っているような感じを受けます。

http://ocw.mit.edu/OcwWeb/Foreign-Languages-and-Literatures/21F-039Spring2003/Readings/

ついでにこちらとか。MITのundergradの癖に読む量少ないじゃないか、とか思う。

ああ、そうそう、現代思想2005年7月号に『イメージ発生の科学』というのもあって、この前紹介したBerthozによって書かれた論文も収録されているので、おすすめしておきます。

あと、

・主人公に固定の名前がついて、その名前をボイス付き感情入りで呼んで喘いでいるにも関わらず、なぜそこにBL同様の「本人不在」の発想が入り込まないのか。広義のNTRとならないのか。

http://rosebud.g.hatena.ne.jp/Kadzuki/20061227/1167233185

の(読者)本人不在の感覚、については、やおい小説論―女性のためのエロス表現で何か、特にポジティヴな方向性で書いていたような記憶があります。間違っていたらすみません。いや、ただ、ある小説のある登場人物(男)の喘ぎ声データベースで大笑いした記憶だけは確かにあります。

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