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2006-12-30

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http://rosebud.g.hatena.ne.jp/crow_henmi/20061230/1167407259へのお返事です。

女性主人公云々については「女性には感情移入できないのか」という質問を返したいところです。というか、女性にもおおむね問題なく感情移入できるでしょう。

できると思います。ただ、『人称による感情移入が関係が深い』仮説だと、人称変化によって感情移入の程度や種類に差があるのではないかと考え、その『おおむね問題なく』のあたりを詳しく説明することが仮説のためになると思い、「どうなのか」というopen-ended questionにしたつもりでした。このあたり、説明不足でした。すみません。「感情移入できるのか」というclosed questionであれば、私もYesと答えると思います。また、人称の効果をメソッドやツールとしての位置づけと考えるのは妥当な線だと思います。ただ、そうしたexplicitなものであればvariable設定するの簡単なんで、実験一発やっちゃえば大体統計取れると思うんですが、どなたかやらないかなぁと。

三人称においては主人公的立場にあるキャラクターの描写は強くなる傾向があり、それがそのキャラクターへの特定的感情移入の補助線として機能するでしょう。

とのことですが、それなら人称の問題にするよりも、視点もしくは描写の量の問題になるのかな、と思いました。一人称なら、そりゃその視点に付き合う時間も描写の量も多くなるわけですし。そうした点から考えると、人称はcovariableになると思いますが。どうなんでしょう。

ただ個人的には特定のキャラへの感情移入、というものはあまり納得できません。つまるところ、我々本当はキャラクターの誰か一人に感情移入なるものを行っているのか、という疑問が晴れません。個人的には、School Rumbleにせよ*1、悲劇の構造にせよ、我々読者は超越的視点にたって感情移入なるものを行っていると考えます。それを「世界に感情移入している」とか「無人称的な謙虚さ」とか言い換えてもよし。ゲームに対して超越的な視点でとどまり続けつつ、私がゲームで感動できる仕組みは、特定のキャラへの感情移入では説明できない、と思います。例えば主人公が泣いたって私は泣きませんから*2

だからむしろ、意識の距離や没入immersionなどという能動的な概念と、そして少しレイヤーが違うBenjamin的な気散じdistraction*3もしくは架空世界の受容などという受動的な概念、という分割を便宜的にしたうえで、それらを統括するものとして感情移入、という概念があると考えたほうが実用的だと思います。感情移入、としちゃうと、どうしても能動的な語感があるので。そもそも「感情移入できる/できない」という語の使われからして、その語は能動的・自動詞的な動詞であると思われるようなので。このような語の使用においては、感情移入させられる、という受動的な面が見えてこないのは難点ではないかなと。その辺は自分も気をつけて言葉を選んでいるつもりでした。過去形。

参考として、http://www.critiqueofgames.net/data/critique_term.htmlの『意識の距離』とか『感情移入』の項。

主人公への感情移入への反論として、茂内さんの修論のp. 59以降(http://www.intara.net/ron/syuron/)。ちょうどギャルゲーのときめきメモリアルを挙げながら。

このシーンで、プレイヤーは館林の気持ちを知っており、またPC の無自覚さをも知っている。プレイヤーはPC の鈍感さに飽きれるとともに、館林の心情を慮る。つまりここでPC はプレイヤーの分身などではない。そしておそらくプレイヤーは館林に感情移入するのである。

あと、今木さんも過去ログで、プレイヤーから主人公への感情移入ではなく、プレイヤーから少女への感情移入について語っておられたような。

とりあえず関係ありそうなのをピックアップ。

大きく戻って、crow_henmiさんの最後のパラグラフへの反応へ。

えと。ついでに書いておきますが「感情移入困難なキャラクターを「わたし≒彼」に設定する」ということもままあります。あるいは不慮の事故でそういうことが起こります。そうした場合は「わたし」と「彼」の間に強い乖離が生じ、主人公を痛烈にDisる現象が起きたり、主人公を突き放した視線で見つめることとなります。たぶん。

ああ、そういえば、『君が望む永遠』の主人公が大嫌いで、作品自体嫌いでしたー。たぶん『School Days』もプレイしたら嫌いになると思います。へたれ主人公嫌い。あの辺のゲームが嫌いになるのは、選択肢を選んだのに思い通りに行かないからだ、とか、そういうinteractiveな面でも考察されていたように記憶しています。いやむしろ性格が嫌いだ、と思いましたが。

最後に。

個人的には感情移入とかいうものを直接的に語ることができるのか、という疑念があります。いささか回りくどい手法をとるべきなんじゃないかな、と。具体的には?、と問われると説明が面倒なのですが、まず感情移入とかいうものの構成的理解を行うために、能動・受動を便宜的に分けた後、それらの恣意的な分割によって排除されたものを挙げ、その示されたものを契機として両者の非分離を示し、感情移入なる行為を迂遠に示す必要があるのではないかな、と。

以下、電波と罵ってくださって一向に構いませんし理解できる人は閲覧者の中では二人ぐらいだと思いますが、続き。つまり、感情移入とかいう行為は語り得ないもの、という直感がある。なぜなら感情移入とかいうものについて語ろうとすると、感情移入とかいう言葉の実行性の議論になる、もしくは特定の言語ゲームに絡み取られてしまうから。だから私はあえて感情移入という語が解らない、と言うことでその語の実行性を認めず、WittgensteinがInvestigationで示したような手法を取る必要があると考えます。そうすることで素朴実在論を否定するわけです。例えば、萌えという行為や感情移入という行為を語る際において、それぞれを他動詞ではなく自動詞として捉えることからはじめる。そして、便宜的に分けた能動・受動の、その便宜の恣意性を明るみに出す。そこで能動・受動の関係を位置づけ、この関係性を契機として構成的に萌えを示す。どうしてそんな迂遠なことをするのかといえば、例えば、その意義を認めつつも萌えを語るモデルとしては不適当だと思われるデータベースモデルでは、データベースを措定した時点でその基底において萌えという概念が貧困になるのは不可避だと思います。つまり、東氏の語る萌えが貧困な感情のように映るのは、データベースを措定していてそこから出発しているから、と判断する(詳細の議論は略)。ならばデータベースや要素還元という基底を見直す必要がある、というわけです。同様の議論で、感情移入という言葉を考える際には、まず感情移入主体/感情移入対象といったような素朴な実在論を何とかする。もちろんこの対立が虚構であることをただ語るだけでは特定の言語ゲームをしているだけに陥る、言い換えれば感情移入という語がある特定の言語ゲームで実行的かというレベルの話になってしまうのだから、(実行性の議論の意義を認めつつ、)その素朴な脱構築に留まるのではなく、それを契機としてそれらの語りから徐々に構成的に感情移入が語られるのではないかな、と。であるがゆえに、PlayerがPlayerCharacterに感情移入する、という対立軸をまずどうにかしたい、と考えているわけです。郡司的に。

*1:izuminoさんの200609などを参照

*2:泣いたキャラに感情移入していたらプレイヤーも泣く、のでは。

*3:無意識的な、移入する主体すら必要としないレベルの。軽く検索したら"But this also means that distraction is not a state of consciousness, e.g., attention or inattention. . . . It means, too, that distraction doesn't require a subject, although a subject could be one its effects."などとも言及されてました。あとBergsonのMatter and Memoryのrecognition, attention by distractionあたりの議論も比較参照のこと。

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