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2007-01-16

[] 舞シナリオについての思いなど  舞シナリオについての思いなど - こぐにと。 cognit. を含むブックマーク はてなブックマーク -  舞シナリオについての思いなど - こぐにと。 cognit.  舞シナリオについての思いなど - こぐにと。 cognit. のブックマークコメント

TV版Kanonで舞シナリオが終わったらしいです。

あのシナリオには思い入れがあるというか、Kanonでギャルゲーの洗礼を受けたことは前に書きましたが、その中でも最初にクリアしたのが川澄舞だったはずなので、私というギャルゲーマーを生誕させるに至った(ここで嗚咽)のは舞と佐祐理さんという上級生で三年生の先輩方であり、また麻枝准と言うその人であり、私はそのことを今振り返れば、なんというか、誕生させなくてもよかったんじゃないかとか思いながらも、嬉しいといえば嬉しい出発点だった思います。だからこそ、TV版Kanonにさしたる興味はないのだけれど、麻枝准のファンとして舞シナリオラストと真琴シナリオラストだけはDVDでも借りて視聴しようかなと思っていたところ、同じく麻枝准ファンであるところのもりげさんがTV版舞シナリオへの不満を語っておられ、「ああ不安が当たってしまったか」と少しばかりKanonを見る気を失いました。というのはもちろん、舞シナリオ終盤の整理されてなさをどう扱うかということが事前の心配事としてあったのですが、従順にシナリオどおりにしたら意味解らないし、かといって希釈したら意味ないし、「とりあえず短くて麻枝成分が摂取できるシナリオは?」と誰かに問われたら「…じゃあ麻枝汁100%の舞シナリオかなぁ」と答えるであろう舞シナリオ終盤の強度をいかにして動画で表すかがアニメ化における問題であって、舞シナリオ終盤の整理されてなさは「あれがいいのだ」と麻枝ファンならば恐らく口をそろえて言うところで、もりげさんの以下のような記述はひざを打ってただ首肯するばかりです。

舞シナリオは、物語ではなく、音楽にたとえるべきものなのです。なんだか知らんが不条理にも絶望の底で夜の校舎をボロボロになりながら駆け回り続ける羽目になって、そうやって世界が闇に閉ざされていった末、唐突に――そう、唐突に!――あの米畑(原作ではnot麦畑なのだ)が広がる感覚が。伏線ほとんど皆無の状態から、無理やりに受け入れるしかないあの説明の衝撃が。無駄に薄まっている。

http://www.exa5.jp/morige/20070115.html#p01

私の意見を付け加えるならば、そもそも舞シナリオは動画には絶対向かないのです。なぜなら、突然の麦畑(細かいところですが、画像はどうあれ、テキストでは麦畑になっております)の出現、そしてまるで記憶の奥底からフェードインしてくるあの奥深しくも密やかに何かを祝福するような『残光』の音色と、その抒情あふれる音と同期するようにフェードインしてくる見知らぬワンピースの少女(黒髪ロング)!かの存在は不条理だからこそ衝撃でありあのわけわからん具合がよいのであり、あの画面が完成する一瞬の煌きのために物語は無駄に長い間サスペンドされてきたようなもので、シナリオの起伏のない長さがあの一瞬を引き立てるという構造を有しており、何よりあれはあの瞬間が発生する瞬発力の問題であって、私はこれまであのシーンほどに物語の瞬発力を感じたシーンは10数年ぐらいのゲーム経験の中でもないのですが、だからこそ動画みたいに『突然』を中々示しにくい媒体では向かないシーンでもあって、そういう点でスタッフを無碍に責めるのはいささかつらいものがありますが、それでもやはりきちんと表現して絶賛を受けてほしかったと思うのがファンの心情と言うものでしょう。もちろんこれは真琴シナリオもそうで、草むらにたたずむ真琴、飛んでいくヴェール、そして子供のように泣きじゃくる真琴、というのは静止画でしか表現できないと思います。動画だと予備動作が必ず入ってしまって、それじゃダメなのだと私は訴えたい。意味の前に強度が来る体験、というのはそう中々ないのだから、それは大切にしなければ。そしてONEにおいて『永遠の世界』と初めてであったときも似たような感覚があったからこそ、しかし『永遠の世界』はそれ単体で効力を発揮し、シナリオ全体という点ではONEにおける麻枝キャラはいささか弱いと考え、私はKanonの舞シナリオをもって、麻枝純度の高い麻枝シナリオとするのである。AIRは長いし、ONE成分は舞シナリオのほうが強いし。

つーことで、私が昔書いたゲーム版の感想も上げておきます。長いよ。

舞クリア

ずるい!

というのが最初に出てきた感想でした。麦畑で立ちつづける少女はずるい。その画面だけで泣いてしまうではないですか。彩色が良いのも関係しているのだと思うのですが、夕陽を跳ね返して黄金色に光る草原ってイメージは素晴らしい。音楽が変わる、ってのもずるいです。舞ーっ!舞ーっ!あとはえっと、一人佇む少女、ってのは麻枝氏のチョイスとして好きですね。これは心理的にでもあり空間的にでもある。舞は麦畑で待っていて、観鈴ちんは堤防で風を受け、渚は桜並木の坂道で佇み続ける。出会いは空間と心理の同時的な邂逅でなければならない。まあ、麻枝氏に限らずよく使われる手法ではあると思いますが。新しい場所には新しい出会いが待ってるものなのよ。ただし上記変遷は、夕方(舞)、昼間(観鈴)、朝(渚)であって、その辺は一貫した要素はなさそうです。むしろ逆に日中の時間性に依拠せずに出会いはあるとも言える。夜において演劇練習中の渚と出会ったことも含めて考えれば。

まぁ、ラスト近辺は全体的に説明不足で、速度と強度だけで駆け抜けていく、というのはどこかで指摘されているとおりでした(再プレイしても印象変わらず)。それを難解といって持ち上げるよりも、説明不足と切ったほうが多分的確でしょう。ただし説明しすぎると速度とかテンポが落ちる上に、何を言っているのか解ってしまう。解ってしまうのはよろしくないです。最早時系列とかは関係ないので加速して駆け抜けろー。あと切腹描写も結構簡素で、感情移入なんてできませんでしたよん(そこと対比すると、子供舞と母親とのシーンは気合入りすぎで実感篭ってるとか思いました)。切腹に至るまでの詳しい経緯はhttp://www2.odn.ne.jp/~aab17620/kanon_mai.htmとかhttp://www6.airnet.ne.jp/mandn/favorite/mai_txt.htmlを読めばそれが何故起こったか、という舞の心情の因果関係としては解るんですが、まぁ舞の心情を解りやすくしてみたところで我々が受けた強度の経験の説明にはあまり寄与してないんで、その辺りをまごまごと語る必要がありそうだ、と。ぼくは語彙も知識も解析ツールも足りないんで、とりあえず間違えが多いと思いますが、プライベートモードだしねぇ、とか思いながら。えーと、ここでの強度(intensity)というのはDeleuze的な使い方です。

Affect is inteisive because it happens to us, across us; it is not objectifiable and quantifable as a thing that we then perceive or of which we are conscious. Affect operates on us in divergent ways, differing in kind -- the light that causes our eye to flinch, the sound that makes us start, the image of violence which raises our body temperature. Deleuze therefore referes to intensities. (Colebrook, "Gilles Deleuze", p. 39, 原文ママ)

解説本からの引用はちょっと恥ずかしいのですが、Repetition読んでないので。

こういう文脈でいくと、今木さんが阿部嘉昭を引きながら論じていらした野島伸司の『唐突さ』というやつのほうが、強度に関しては重要である。引用するには長いので、http://imaki.hp.infoseek.co.jp/200310.html#24へどうぞ。これら唐突さに加えて、(恐らく意図的であろう)人称切り替えを加速していくことにより、視線をどんどん混同させていく。最早我々が見ているものは祐一の視線を通した風景ではなく、何かを見ていること(、、、、、、)そのもの、イメージの奔流そのものとなり、そこに意味を見つけさせないとする強迫的ですらある継起的な強度の発生において、脳を直接揺さぶられるような、「とにかく凄いことが起こっている」なる感情を引き起こすのだ、とか。この辺についてはもう少し考えよう。

あと、上記舞解説のURLで触れられなかった言葉でぼくが泣いたのは、

ただ、もし、その嘘が現実となることを願う少女がいて、

そのときより始まったひとりきりの戦いがあるというのなら、

そこには最初から魔物なんてものは存在せず、

ただひとつの嘘のために十年分の笑顔を代償に失い、

そして自分の力を、忌まわしき力を拒絶することを求めた少女が立ちつくすだけなのかもしれない。

と詩的なモノローグが続いた後で、こういう言葉が来たところでした。

一瞬の、ほんの数日の出会いから。

(号泣)

あとは場所性ですか。CLANNADとかに通底するところで、astazapoteの林さんが確か言っていたように、思い出は空間的に束縛されていなければならない、という。記憶は心理的なものだけで想起するものではなく、場所が触発して想起するものでもありましょう。ただし心情よりだというのは、学校にせよ麦畑にせよ、あまり具体性が感じられない。麦畑というイメージだけに牽引されているような感じがするのは、恐らくCLANNADの桜とは違って想起させるのが一回だけだからというのもあると思いますが。あと動物園という本来地理的な言葉が単なる(空疎な、願望の)言葉として何度も宙に浮くのは不思議な感じです。えーと、他のゲームなら『約束の指輪』とかになるところをあえて空間的なものに持っていく手つきはとてもよいものだと思うのですよ。ウサギの耳は正直ご都合主義が見え隠れしていらないと思ったんですが、舞はちっさかったのだ!という一点において全肯定。ウサギの耳をつけなければ同じ高さにならないほどちっさかったのです!どんなにちっさかったんだ!

まぁ、「こうあるべきだ」ってのが先行する人たちの振る舞いにはほんと弱いわけで。その「べき」というのが過去の嘘とか過去の罪とかそういうのか、過去の贖いだったらどうしましょうという感じで。その所作は保身のためとかじゃなくてですね。観鈴ちんだって、友達ができないのは呪いのせいだということをぼくらは知っているけれど、観鈴ちんは自分のせいだって思ってるわけですよ。自分で理由を知らずとも自分が泣いてしまうということに呵責を感じて、笑わなきゃ笑わなきゃっていうのはベタかもしれませんけど大好きだ。

えーと、今は真琴やってます。今は、という表現は的確ではないが。

http://d.hatena.ne.jp/cogni/20061013

で、今のところベストは舞。舞というか、舞と佐祐理さん。舞と佐祐理さんというか、舞と佐祐理さんと俺(最早祐一と同化)。ずっと三人でいません?あの幸せ空間とあのイメージだけで押し切られる感覚だけで敗北。そういえば初プレイ時も舞からクリアしたよーな記憶があります。子供っぽいお姉さんだけどお姉さんらしいお姉さんとかそういうのに割と偏っていた時期だったのだと覚えています。舞は(以下3kb妄想略)だから好きです。舞ーっ!

http://d.hatena.ne.jp/cogni/20061014

基本的にはこれら感想とほぼ変わりませんし、こちらに既に上げている舞シナリオについての感想も今のところ大きく変更するところはありません。ただ、エンディングはなんか微妙ですよね。そりゃハッピーエンドだけど、何か、なんというか、足りない。

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http://d.hatena.ne.jp/sosuitarou/20070115#p2

長さが効果的に働いているのではないか、ということを書いたのは、疏水さんが挙げられているような、疏水さんの過去の考察からかなり影響を受けていると思います。実際、上記の舞シナリオについての雑感においても、「あの一瞬の成立のためには起伏のない長さが必要だった」と書いているのは、疏水さんやもりげさんを意識してます。あと、過剰さにより現れてくるもの、ってところは毎度ながら蓮實重彦を思い出します。Wittgensteinのように、語るものと示すもの、との区別も想起したり。

量の素敵さには感慨を抱くほど首肯するのですが、ただ回数と長さは互いに量的な要素という点で共通である一方、両者はきちんと分けておくべきではないかとも感じています。まず一度会って長くいっしょにいることはできますが、短くいっしょにいることもできるというのが前提にあって。そして一回、というのは会ってから別れることを指示しているのだと思いますし、始まりにも終わりにも、何かしらの力が加わっているような。たとえば一度別れてからもう一度会おうとしたとき、何かきっかけというものが必要になって、「もう一度」を積み重ねるときには、きっかけとかいう障害を乗り越えなきゃならない。飲み会の終わりには、誰かが言い出しにくそうに歓談を止めなきゃいけない。だから、ある時間の長さT1に一回の出会いと会話で到着することと、T1に回数を積み重ねて到達することは、結構違うのではないかなと。そういう点で、「好意は回数で測られる」と「好意はいっしょにいる長さで測られる」は明確に区別されるべきだというのが私の考えです。そして、どちらかといえば、回数のほうが何となくいいような。やはり「会おうか会うまいか」を迷ったあとに会い、その回数が増えているのならば、会う前の煩悶という障害をそのたびに越えているということであり、「おはよう」などの挨拶もそのたびに交わすことになるし(挨拶はやっぱり大事です)、選択肢やマップ選択というシステムはそれを可視化させていますでしょうし、たとえ意図せぬ逢瀬があろうともそれは同じ場所に同じ時間にいたという証明になりうるという面で、長さより回数を重んじたほうが、なんとなく、素敵な感じがします。だって、大学生になって友達ができにくくなったと皆が一様に呟くのは、クラスが違うことが多くて会う回数が重ねられなくなったからかもしれませんし。

そういえば私も、マイミク登録は「五回直接会った人」という制限を個人的に設けていたりもします。笑。最近ルールが破られましたが、まあ、その辺は適当に。

[] 日記のようなもの  日記のようなもの - こぐにと。 cognit. を含むブックマーク はてなブックマーク -  日記のようなもの - こぐにと。 cognit.  日記のようなもの - こぐにと。 cognit. のブックマークコメント

名塚佳織という名前を覚えて以来、『名塚佳織の甘えん坊ディスク』というものを作るべきだという思いに囚われているcogniですこんばんは。もしそんなのが製作されたら五枚ぐらいかって各プレイヤーに一枚ずつ入れておいてトーストとコーヒー、サラダを食しながら毎朝優雅に聞いて一日の活力にするよ。もちろん朝食の机の対面にCDプレイヤーを置いてちゃんと受け答えの反応する。「お兄様、今日は早く帰ってきてくださいね」「もちろん」「寄り道なんかしないでくださいね」「大丈夫だって」そんな感じで。内容に対応するトラック番号まで覚えて自分の気分にあった名塚の甘えん坊ボイスを選択するというダメブレードランナーの様相を繰り広げる様を誰かに見られたらキモい変態キモい変態キモーっ!というコールが聞こえてきそうですが、一人暮らしだからいいじゃん毎日の潤い欲しいじゃん、という現代人的自己肯定により特に問題はなく生活できそうです。だからまきいづみのわけわけんねー百人一首なんて作っている場合ではなく。お叱りディスクとかもわかんない。怒られたらへこむやん。「そんなんもわからへんのー?」という優しげにお叱りくださる神戸弁であれば全然かまいませんが。関西弁と播州弁にはさまれた、わりといいとこの娘が発する神戸弁なめんな。最早仮想敵が誰だか解らなくなってきたところで本文です。

基本的に他人の会話を聞いているのは苦手で、「Webラジオなんて誰が聞いてるの?」という疑問をうたわれラジオなる存在を耳にするたびに思うのですが、その文脈で考えると、名塚佳織が出ているWebラジオが仮にあったとして聞く気にはならないので、できれば私が聞いてるScientificAmericanのpodcastとかあたりに出てくれねぇかなぁ、と可能性がほとんどない夢に思いを馳せているのですが、ただやはり問題はというと、ナナリーは傍にいてくれればいいわけではない、というのがあって、観鈴ちんであれば一人で適当に遊んでいてくれるからほほえましく見守っているだけでいいんですけれど、ナナリーは眼が見えないからちょっと傍にいてずっと話しかけてやらねばならず、かといって間をおいて話しかけるときはきっと自分に話しかけられているということが視線ではわからなくて、「え、なんですか?」という聞き返しを結構しているに違いないんですが、その疑問文のアクセントがまたいいわけですよ。そういえばナナリーにギアスは使えないんですかね。使えたら抱っこさせてもらいます。してもらうんじゃなく、する。ささやか。

で、先日キャラメルBOXの新作の体験版をプレイしまして。タイトルは覚えてないんですが、全体的に立ち絵の大きさというか背の高さというかに驚きました。身長差を実寸であらわすとこういうことになるのか、という感慨とともになんか果てしない違和感というか、ウィンドウの高さいっぱいぐらいまで立ち絵があると「身長高すぎ」という圧迫感を感じたりもしましたが、主人公が小さいらしいので、そういうところを示唆しているのかなと思いましたが、でもやっぱり高すぎだろあれ。あと会話が遠い。この前までAIRとかKanonとをやってあの距離感が狂わされる会話をふんだんに積み重ねていたせいか、まあ実際にしてみれば妥当な会話の距離感だろう、と思われる会話すらも、なんだか自分とは違うところで行われているような会話の遠さを感じてしまい、唯一、義妹であるところの少女との距離感は認めてもいいかなという具合でした。やはり積み重ねてきた時間が違うのか。しかし、他のキャラとの会話も妥当なんですよ、本当にあんな感じの会話をしそうで、まあ時折筆者の悪ふざけが入るかなというところで、違和感はないんですけれど、ただどこか遠いというか、ギャルゲー的現実感がないというか、お前ら他人行儀すぎというか、ギャグがすべるというか、個人的には浩平みたいなはちゃめちゃさがもう少しほしいところですが、まぁ体験版ですし、ctrlスキップふんだんに使いましたしね。声優さんは北都さんしか解りませんでしたが、まあそもそも私は声の分別などできるほどの聴覚を持ち合わせておらず、正直言ってこちらの街のスタバなどで耳に入ってくるきゃあきゃあうるさい日本人女性の方々の声はまるで同じに聞こえるし、ていうか化粧したら顔も同じじゃないか…、ということを、この前日本人がいっぱいいたところで感じたのですが、まあ本当声優さんの声の独特さというのは凄いですね、とあのとき思って以来、男の方が声優さんと結婚したくなる気持ちがわかったような気がします。

そういえばKanonのアニメ版で携帯電話の存在はどうなっているのかなと。astazapoteの林さんが指摘していたように、携帯電話は物語の構造を多少なりとも変える(たとえば、夜の学校に入ると『圏外か』などという言葉が入らざるをえないとか)がゆえに、工学の視座は物語にも勘案すべき一なのかと思い出しまして。ほら、佐祐理さんが大怪我するとき、祐一も佐祐理さんも携帯電話持ってたらあの出来事を防げるじゃないですか。

AntronAntron2013/03/18 20:38That's a sharp way of thinikng about it.

sdpmmienvcrsdpmmienvcr2013/03/19 21:22U1zkIU <a href="http://zpnpdjebfjdp.com/">zpnpdjebfjdp</a>

accqrmtgxkyaccqrmtgxky2013/03/20 03:15u6IW4H , [url=http://dfzewjgebdlw.com/]dfzewjgebdlw[/url], [link=http://rbwllplibazh.com/]rbwllplibazh[/link], http://owxsgqadhknf.com/

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