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2007-01-28

[] 25歳、応答、コマの顔とその表情  25歳、応答、コマの顔とその表情 - こぐにと。 cognit. を含むブックマーク はてなブックマーク -  25歳、応答、コマの顔とその表情 - こぐにと。 cognit.  25歳、応答、コマの顔とその表情 - こぐにと。 cognit. のブックマークコメント

25歳になるまでに、林さんや今木さんやflurry兄さんが昔書かれたような文章を自分で書けるようにならなければ、私は以降の全ての著述活動を控えたほうがいい、とここに書いておきます。ということは残り約三年でどれだけ自らのセンスを研ぎ澄ませるかが勝負ということになる。なぜ25歳かというと、たしか林さんのONE論が書かれたのが25歳かそのあたりだったから。また、私は基本的に年齢で考える癖があり、年齢での要求基準というものを設定する傾向にあるから。

Webに書き散らした文章に対して、読者は選べないということに疑問と不安とをもって、昨年四月にブログをプライベートモードにしてみたのですが、今年の目標は「会うこと」であると決めてからとりあえずパブリックでも書いていこうと思い、現在に至ります。さて、どのような文章であれ、読者からの反応がある可能性はあり、もし私の書いた文章に私自身の応答責任があるのなら、そして果たして本当に責任を取るべきか迷うものに対して責任を取るべきであるのなら、恐らく私はトラックバックに応答する必要性があるのでしょう。ということで応答してみます(が、応答を求めない意味でトラバは飛ばしません)。「ぎゃー、皮相的やー。どうにかしてくれ」。文は人なり、とかの方は言われましたが、まさに。トラバをもらった先の文章を読んでみるに、かの文章の筆者は廣松、丸山、そしてソシュールをすらいまだ読んでいないと思われる。そのように思わせるのは恐らく、分節やらシンボルという哲学方面の単語を使うことで、その文章の内容と単語の間で違和感を醸しているからではないだろうか。哲学の要約内容しか読まないことに対して昔林さんは憤慨しておられたが、今回の場合上記哲学者らの要約内容すらも読んでいないのではないのかと私は疑わざるを得ない。分節とかシンボルとかいう単語をよく解らずに使用していることが、それらの単語が文面から明らかに浮いていることから察せられるので、なるべくそういう理解の曖昧な単語は使わずに(教養が露呈するから)、もっと自分が馴れている言葉を使うべきではなかろうか。そして言葉を手段としてしか理解しないその態度には閉口せざるをえない。ていうか、意識や経験を言語化する(意識の先行性)、ということ自体エロゲ論壇ではわりと批判的に話されてきたことではなかったのか、すくなくとも私は最近そういうこと言った覚えがあるのだが、「本音は喋れない、という否定神学的な形をもって定義される本音」とかそういうことを。別にそういうの受け入れてなければいいんだけどさ、受け入れないのは受け入れないで、素朴過ぎなくないか。また更に、言語をメディアと同定したところにすら私は懐疑的だが、それを受け入れた上でも、「メディアはメッセージである」という手垢の付きまくった命題を思い浮かべなかったのかと不思議だ。その辺思い浮かべていればあんな貧しい解釈には至らなかったろうに。少なくともジジェクを読んでたら、体験とやらの象徴化を求める欲望がラカン的な意味での対象を生むというテーゼ(「これじゃない」の話など)が思い泛かべるだろうし、思い浮かべていたのならそれを批判的に超える試みがなされてもいいと思うが、恐らく筆者はそれをあえて避けたかもしくはそこまでにすら至っていないだろう。まぁ、言語を手段としてしかみず、更には言語は体験を劣化する媒体であるとしてしか語らない者に、言語を語る資格はないと思われるし、過去の言語論の文献を参照しようともしない言葉は大概軽すぎるし薄っぺらい。それはそれでいい場合もあるが、文脈考えるとあの文章はそれじゃダメだろ、理解さえ危うい。つーか思いっきり近代文学に悪い風に毒されてるよな、現実や想像や意識を言語によって書き写すとかそういう観念。そして最後に書かれてある、自らの責任を回避するような「気にするな」という文言はいかにも言い訳をして逃避する平凡で陳腐なオタクの臭いを感じ、私は私の権利と責任に於いて「あの文章と文体は気持ち悪い」と発言するとともに、「東浩紀の時枝誠記論まだー?」って、ちんちんと茶わんを叩いておこう。しかし、昨日皮肉ったのにも関わらずそれでもトラックバックを送ってくる度胸や、伊藤氏らの表現論の話をしてるエントリに(表現論が巧みに避けつづける→)できあがりの記号の話をトラックバックしてくる度胸は好きですよ。あと「物語の波動関数」とかいう言葉に「えーなにそれ」と爆笑しましたですよ。

さて。いずみのさんの論のコメントというか、別にいずみのさんのところにコメントするほど直接的な言及ではないので日記に書きます。いずれ来るあの論考では、「xxxxxxのコマなのか?」(xは伏字)と問うこと自体、その問いの形式が画期的なのだと思う。たとえば上記の疑問の『コマ』を『テクスト』としてみたとき、テクストの多義性という耳慣れた言葉がわりと簡単に思い泛かぶ。テクストは脱構築ができるように、マンガのコマもまた脱構築が可能であることは恐らく正しい。そしてまた同様に、いずみのさんが掲げるあの問いは恐らく答えを一義的に決めることはできない類の問いであって、コマの脱構築を容易に可能にするものではないか。つまりあの問いを整備し問いの形式として成立させることで、あの問いはテクストの多義性を明るみに出し、そして(ほぼ必然的に)読者同士の対話と読者とマンガとの対話を可能にする土壌を作るのではないか。たとえば、あのコマはどう解釈すべきか、と。そのような対話を発生させる問いはとても貴重で重要だ。そしてそれはマンガの紙面に書かれてしまった線をいまだ描かれていない線として蘇らせ、そしてその物質的剰余にすら読者の目を到達させることができるのだと思う。以上に言及したコマの多義性とは、そのコマが解釈を常に逃れ続ける(、、、、、)ということであり、抒情が常に言葉から逃れ続けるということとほぼ同義であるが、それは逆の視点から見ると、テクスト(コマ)が常に生き延び続ける(、、、、、、、)ことを示唆することになる。だからその問いに巻き込まれることによって、コマは生き生きとした表情を見せるだろう。そのような場を誘発させる、もしくはいずみのうゆき氏の名前に従って、そのような場を誘起(、、)(笑)させる問いは、これからのマンガ批評を豊穣なものにさせるに違いない。批評とは常に自らと批評対象との闘いの場であり、常に遅れてくる意味を取り戻す行為であり、対象が存在してしまうことへの驚きと嫉妬と眩暈が巻き起こる事態であり、その闘いによって互いは成立と崩壊を繰り返し、新たな形で生き延びることが獲得される行いである。だから表現論はそのような批評を可能にすることで、常にテクストを活性化させるものであるし、そうであるべきだ。マンガ表現論が単なるマンガ技術論と違うのは、この一点、テクストの活性化に求められるべきだと思う。

あとどうでもいいことはmixiにでも書いておきます。ツインテールの話とか。そもそも私がそういう話しなけりゃよかったんだから(泣)。

[] disられる  disられる - こぐにと。 cognit. を含むブックマーク はてなブックマーク -  disられる - こぐにと。 cognit.  disられる - こぐにと。 cognit. のブックマークコメント

http://d.hatena.ne.jp/crow_henmi/20070128#1169980884

わーい、disられましたー。

他人をdisるということは、同時に自分もdisられる可能性が高くなるわけで、disられること自体は別に全然構わないので機会あるごとdisっていただければと。少なくとも、当人を傷つけることや当人から嫌われること、その他の閲覧者も不快になること、自分がブクマでdisられること、コメントの応酬になり時間を割かざるを得ない危険性、アンテナを外されたりする可能性などなどを事前に考慮した上で、あえて他人をdisることに昨日(今日のエントリ)踏み切ったわけですから、まー他の方々からの逆disはされても仕方が無いかなと思ってますですよ。

natu3kan氏はあのkamimagi氏で、gooブログのほうの記事へのリンクをよくかとゆーさんのところで見ますし、オタク向けの記事で注目を浴びるに足る記事を書く方でしょう。gooブログのほうもときどき拝見してますが、読む記事読む記事なんか微妙なので、もっと良い記事を書いてくれたほうが一閲覧者として嬉しい。そしてどうやら氏が興味のあるらしい言語や想像力の問題に関してより良い記事を書くには、今のままよりはもっと勉強したほうがいいと常々思っていたのです。他にも例えば、良い記事を書くには、単語の用法とかどうでもいいことで人からなめられることはただの減点対象にしかならないのでやめたほうがいい、など。私はどうでもいい人をdisったりはしないので(トータルで見ればストレス溜まるようなことでしょう、disることは)、時間を割く価値があると判断して(反応があったら返す所存ですし)、また単に馴れ合いで優しい言葉をかけるよりも攻撃的にdisるほうが効果的じゃないかと思ったからそうしました。せっかく同じグループにいてトラバいただいたわけですし、まあトラバ打ってきたということは対話の機会だろうかなと。匿名コメントでdisるよりは記名でやったほうが恐らく互いのためになるので、あえてここで。

こういう攻撃的な手法がいやなら嫌われることも覚悟しておりますし、氏を傷つけてしまうことも解っておりますが、ただ、俺はあんたに期待してるしあんたが俺を痛烈にdisることを期待している、みたいなことを感じ取っていただければ、前の記事にとって一番の幸せではないかなと。

あとアドバイスどうもありがとうございますー。エッジによりすぎ、というのは、うーん、自分に当てはまるのか微妙ではないかと思いますが。ただ、公表することで他人から突っ込みを貰えそうな目標ではないかと。

それに別にできなければ死ぬというぐらいの覚悟ではないわけですし、書けなかった書けなかったでデータベースを整理するだとかもできますし。今のWebを見ていたら、たまに若い人で能力高すぎて見てるこっちがへこむけど期待できる人、とか発見できるじゃないですか。そういう人がこれからもどんどん出てくるでしょうし、その人たちが伸びていける土壌を整備するのも楽しそうでしょう。

明瞭に書く、というのは気をつけます。不明瞭な部分があったらご指摘くださればありがたいです。

追記:まー、私はそんなにできた人間ではありませんのでかなり挑発的です。そういえば、crow_henmiさんと僕とのやりとりの初めは、僕の脇の甘い発言に対する皮肉だったような覚えが(笑)たしか2005年12月ぐらい。

natu3kannatu3kan2007/01/28 15:53>なるべくそういう理解の曖昧な単語は使わずに(教養が露呈するから)、もっと自分が馴れている言葉を使うべきではなかろうか。
それは同意です。それに近いものが自分の狭い語彙からアレしか出てこなかったので使ってたので。

cognicogni2007/01/28 16:01「は」っていうのが、こう、あれでいいですね。
同意していただけるんなら、そういう単語を使わないか、単語を使うなら勉強してください。どっちかというと後者をお勧めしますが、そのときはもちろん本買って勉強してください。どういうタイミングで使うか、とかは実際に使われている場面をたくさん読んで馴れなきゃいけないと思いますし、そちらのブログではネットからの引用ばかり見かけましたが、ネットの哲学の言葉は信用なりませんから、是非著名な本で。
まぁこう口うるさく言うのは、同じような言語や単語を使う者としては、何か変な用法で単語が使われていると変な気分になりますし、そういう用法が一般的だとネットの大勢に勘違いされると困るからです。自分の場合もそれは同じなんで、私の単語の用法が間違ってたらWeb拍手ででもつっこみください。

crow_henmicrow_henmi2007/01/29 16:31そういやそんな出会いでしたか。確認したら確かにそんなことを。個人的には先年1月頃の、ひぐらしを巡る対象を明確にしない私信のやり取り辺りが印象的でしたが。
「できなければ死ぬ」ってのは、まあたとえが悪かったんですが、断念、というものに関して、もう少しいい加減であってもいいのではないかとか、ひいては内的規範が峻厳に過ぎるのではないか、とか、そんなことを感じたわけです。25歳で断筆、とか、断念早すぎ! と、30超えたぼくは思うわけです。もちろん切磋琢磨のための目標としてある時点を目処にするのは宜しいのですが。
 後、内的規範が優先されるのはまあ当然のことなんですが、内的規範自体の外部との整合性あたりも少し勘案していただきたいとか。具体的には、cogniさんの能力は自ら表明されているような低さではないと思いますとかそんな感じ。どの外部と比べるとそういう評価が出てくるのかなあとか少し疑問に。
 文章の可読性云々については、随想なりの構成というものがあればうれしいなとか、長文は読みにくいので適宜段落を切って欲しいとか、そのくらいのものです。後、用いている概念やタームについてもう少しわかりやすい形で出してもらえればありがたいかなとか。すでに読者がそれに熟知している、という前提だと、間口が狭くなりすぎますので。まあそうでないと語れないことも勿論ありますし、いちいち判りやすく書いてるとめどい、というのもあるのですが。
 まあそんな感じです。

cognicogni2007/01/29 22:29出会いに関しては、つっこまれて嬉しかったなぁ、と思ってます。ひぐらしについては、「ルール推理ダメだろ。あと設定とか嫌い」で一貫してたような思い出もあるのですが、他の方から見ると違うのですね。
他の方にも諭されましたが(笑)、まあわりといい加減に生活しておりますので、目標ぐらいは高く持っておこうかなと思ってます。背水の陣なのは自分にはそれが方法論的にあっているからです。お褒めいただけるのはありがたいのですが、やっぱり自分の文章は何かが圧倒的に足りないですよ。それをセンスと私は言いますが、とにかく足りない。そしていろいろ本を読んでいると、若い頃からそれはどうやら変わらないようなので、25ぐらいまでに身につかなければ諦めたほうが自分のためにもなるんじゃないかなと。どの外部と比べているのか、というと、先に挙げた方々や読んでる本とかじゃないですかね。同年代がやっているラノベサイトとか見ないですし。あ、でも、やっぱりWebにも良いサイトはいっぱいあって、出会うたびにへこみます。
段落区切りはより一層配慮してみようと思います。概念については、できるかぎり努力してみます。実は、わざと説明しないで知ってる人だけににやりとしてもらうことも考慮していたりしていました。

cognicogni2007/01/29 22:39「そしていろいろ本を読んでいると、若い頃からそれはどうやら変わらないようなので」というのは、他の方が若い頃に書いた文章を見て、統計的に判断した結果、若い頃から文章センスはほとんど変わらない(例外はある)、という意味です。解りにくくて申し訳ありません。

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