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2007-02-01

[] 美少女ゲームにおける場所の発見  美少女ゲームにおける場所の発見 - こぐにと。 cognit. を含むブックマーク はてなブックマーク -  美少女ゲームにおける場所の発見 - こぐにと。 cognit.  美少女ゲームにおける場所の発見 - こぐにと。 cognit. のブックマークコメント

(現在、暫定第二版)

遅れましたが、http://d.hatena.ne.jp/genesis/20070128/p1に反応。…と思ったけれど、随分と違ったものになりました。

美少女ゲームを「考察」する際に於いて、特権的に扱われるものとして、「テクスト」「人物」「内面」「外見(絵)」、そしてそれらが相俟って醸成される恋や死といった「イベント」などが挙げられるが、それらに纏わる言辞を利用し抽象された恐ろしく貧困な物語内容、例えば「1000年前から続く翼人の呪いによって一人の少女が云々、この呪いは斯く斯くの仕方と努力で解除され、一人の少女はその命を終えた」などという要約に決定的に欠けているものを挙げるとすれば、いかなる行為と事実がその制約を逃れることが出来ない、「時間」と「場所」の二つがまず求められるだろう。これら両者の解きがたい結びつきはastazapoteの林氏によって既に指摘されており、特に時間についてはギャルゲーにおける日常の発見という形で多くの人の記憶に残っているものの、同じく林氏が指摘した日常と場所との関連性については余り注意が払われていないように思われる。

「余談になるが、ギャルゲーとは何よりもまず場所と記憶を巡って展開される形式と言える」。このように語られる林氏は、(一般的に言われるところの)場所が第一義的に物理的・空間的に規定され、第二に政治的・社会的な権力関係による規定を受けることを述べ、場所は明示的であれ暗黙的であれその場所に対応する規則が含まれることを指摘された。例えば学校という場所には社会的な権力を背後に明示的に校則というものが規定されると同時、公共圏であるが故の社会一般に当然とされる規則、その他友人同士の関係性を維持するための暗黙の規則、そして建物に遮られたことによる自由移動不可能性の規則などが、その規則の命令が積極的命令にせよ消極的命令にせよ存在することは確実である。以前私も、非日常を日常から区別する際に日常に潜む規則性が暗黙裡に措定されることを指摘したが、そこで問題になるのは、日常性の根底にある日常の同一性という規則そのものが無根拠であるものの実行的に場を支配することであり、例えば上述の日常の場合を例にとれば、行為の結果が持つあらゆる微細な差異を無視して、その行為の局所が規範と同一のものと見做し日常と名状する規則が無根拠ながらも暗黙の状況下で働いていることである。以上、規則を作り上げる場所とともに、規則によって定義される日常とが指摘したことで、場所と日常の両者を「規則」という媒介を利用して接続できることを明示した。

故にこうも言えよう。日常の発生は場所と切り離せない。日常とは同じ規則に従った行動を繰り返すことだと述べたが、その規則そのものの同一性が無根拠であることはまず間違いないにも関わらず、そのような規則が自明であると強かにも行為者に信じさせ、暴力的に外部観測者な位置へと行為者を押し戻す契機の存在が論理的に要請される。そしてかかる無根拠さを隠蔽する契機として、場所が一つの要件として挙げられる理由は、その場所や空間といったものの変化の乏しさであり、また場所という存在の暗黙さといった二つの特徴故であると理由を挙げよう。この両者は擬制的に行為者を欺くことに十分であると思われ、よって日常はまず場所によって担保されており、日常の発見=構成と場所の存在は不可分であると考えうる。すこし脇に逸れれば、このような日常の発見=構成という観点から空気系などと呼ばれる漫画作品群を考えれば、背景や場所性、もしくはそれに付随する規則の緩やかさに空気を感じる原因が求められるのも必然だろう。

同時に場所に関しては更なる指摘が必要であり、特に場所の指示性について考究を深める必要があると思われる。前パラグラフにおいて場所の変化の乏しさと存在の暗黙さを挙げたが、これは主に場所という概念の性質に由来するものだ。例えば駅という場所を指示する際のことを想起せよ。改札口は駅なのか、それとも駅の入り口を一歩でも踏み出せば駅ではなくなるのか。どこからどこまで駅と示すのかは時と場合によって異なる。同様に、学校という場所は教室という場所を空間的に含み、学校という場所が教室という場所に重ね描かれるような構造を取るときもあるものの、そのような重ね描きにも関わらず学校という語が教室という語を決定的に包摂しない意味を持つ場合があることを思い起こせば、両者の単語の意味合いは大いに異なってくることは自明である。同時に、このような場所の指示の性質が個物、例えば椅子や机に関してはほとんど見られないということを考慮するべきであり、驚くべきは場所として指示される概念と個物として指示される概念の、扱われ方の差異そのものである。吉本隆明の概念を援用するならば、場所と指示されるものは自己表出の度合いが高いともなろうが、かくなる性質によって、不確かながらも確実に存在するものとして場所は指示されることに至る挙句、あらゆる「場所」はその実態的かつ微小な変化を概念的に取り込んでしまうことで、概念レベルでの不変さを獲得するに至るのだ。同様のことがDerridaによって指摘されていることをここで言及しておこう。Derridaが書いた短いエッセイ"Khora"("On the name"所収。確か邦訳あり)の中で、彼がKhoraという概念ならぬ言葉を説明する際、それの特性として名づけとdisplacementを挙げ、それがなんら自証的ではなく、また一種のmetonymyに大きく依拠する操作であるとした卓抜な言明が採録されている。metonymyとは、隣接性に基づく喩のことであり一般に換喩と日本語訳されるが、Derridaを読む際に注意すべき言葉そのものに目を向ければ、この置換displacementがdis-place-mentと分けられ、そこに場所placeという言葉が混じることは懸命な読者諸氏なら言わずとも解るだろうし、ここではKhoraの発音がcoreに近く、さらにcoreに隣接していることによって指示されつづけ、Khora(core)は常に空白であり、たどり着けないままでありつづけることにもDerrida読解特有の捩れと意図とが潜んでいることにも注目すべきであり、そして場所と呼ばれるものとの共通性――そもそもKhoraとはPlatoのTimaiosにおいて言及される、絶対差異の無限参照の場のことである――を記憶にとどめるべきだ。

補助線が引けたので、美少女ゲームの話に還ることにしよう。この論では美少女ゲームというものを、90年代中盤以後に顕れた、『痕』『To Heart』『Kanon』などから、物語面でもシステム面でも大きく影響を受けたものとして仮定し、現在いわゆる「萌えゲー」などと呼ばれるものをその射程に入れるものとして取り上げる。そうしたゲームにおいて、場所は常にあり、そしてそこには絵があり、音があり、空気がある。このような当然のことを確認したのは、美少女ゲームが絵とテクストと音楽とが融合した表現を持つジャンルであるという、単純ではあるが決して看過できない作品的事実を意識させるためだ。作品を読む、というときに、そのテクストだけに注目して解析することは表現媒体がテクストのみである文学分野では有効であろうが、美少女ゲーム作品特有の叙情性・叙事性・叙景性を考える上では決定的に欠けていると言いたいのだ。一時盛り上がった空気系などの議論がほとんどの場合皮相的であったのは、物語内容やキャラクター、その言葉や内面といった極度に可視的なものにしか目を向けないという倒錯的な嗜好が、貧しい思考の制限があったからではないだろうか。幾度も確認してきたが、キャラクターは常にどこかの場所にあり、場所は常に存在者の意識を規定する。それは端的に「居心地」という言葉によって表されることすらあるだろう。

キャラクターと場所の結びつきが認められるのは、例えば『センチメンタルグラフティ』のような明らかに土地とキャラクターが密接しているようなもの以外でも勿論存在し(場所という観点から見れば『センチメンタルグラフティ』はむしろ美少女ゲームとしては異端である)、美少女ゲームの教科書的な位置を獲得している『Kanon』においては、舞と夜の学校、真琴と丘、栞と中庭、あゆと大木、名雪と学校および水瀬家、といったような確固たる結びつきが挙げられる。ここで注記すべき点は大きく二つあり、一つはそれら場所とキャラクターの接続が製作者らによる単なる作劇上の短絡であろうと、プレイヤーが受け取った抒情を解明する上でそのような製作者らの意図は常に働くとは限らぬということと(もしくはDreyfusの言うように、そのような製作者のunthoughtによって/にもかかわらず実現された作品という一つの現実を読者は精力的に読み取るべきなのだ、と言い換えても良い)、もう一つは、あらゆる特異性は遠近法的に求められ、遠近法の消失点として定められる普通という一点が必ず存在し、普通というものはただ反復によってある規則の存在を自明かつほとんど気にならないものとして変化させていく結果に生れるものだということだ。物語進行におけるある点時間の特異性は背景画面の変化によって瞬時に体感できうるし(舞の舞踏会イベントを想起)、また背景の変化は随時音楽の変化すら誘発するものとなる。このような解りやすさは、普通という日常の生成によって初めて齎されたものだと考えねばならない。そして特定の場所で起こる、その場所と対応するキャラとの遭遇やともに過ごす時間は、その場所に徐々に記憶を降り積もらせ、場所は徐々にその特権性を獲得するに至る。つまり、ここでは物語が場所や時間を規定するのではなく、このような場所と時間との綿密なまでの共同作業が物語を作り上げていると言えるのである。もちろん、『To Heart2』のようなシステムに見る、行き先選択による物語進行も、場所とキャラクターの分かちがたい結びつきを示唆していることも間違いない。

これらのシステムによって反復される日常という風景は、そもそもがノベルゲームの制約によって形作られたものであることは指摘せずとも解るだろうが、一応書いておくと、女の子との仲をほとんど一から深めていかねばならぬという、ギャルゲー特有の作劇上の必然性としての恋愛過程において、女の子と話すという快楽のルーティンワークをこなすことで降り積もってきた結果誕生した日常である(林氏の2000年12月なども参照)。また、立ち絵と背景という要素で構成されるノベルゲームは、その両者の数の制限という形から必然的に表現方法が制約され、幾度も同じ画面が繰り返されることは東浩紀のデータベース論を用いずとも明らかではある。しかし我々は、その繰り返しを貧しさとは捉えず、豊かさとして捉えることによって、絵とテクストと音楽とが融合し実現した美少女ゲームというジャンルの醸す独特の抒情の解読を開始することができる(類似の指摘が東浩紀氏によってなされている)。

しかしここで一つ注意をしておけば、ここで行っていることは、疏水太郎氏の『CLANNAD』における見解、「街にはお話を抱えている人がたくさんいて,僕らはここでその話を一つ一つもらさずに聞いて回ることになる.」、もしくはthen-d氏による『CLANNAD』の場所とキャラクターとの結びつきの指摘、といったようなものと、同じ種類の話では全くない。これらの指摘は卓見ではあるもののあくまで物語論的地平からの発言である以上、私がこれまで言明してきたことはそうした物語を規定するシステムレベルの話であり、そしてそうした物語がシステム的要請によって導かれ、そのシステム的要請によって物語の強度を改めて照射しようとするのが今回の論なのである。美少女ゲームにおける特権的な場所の出現は、その美少女ゲームのシステムによって担保される。

RPGでも生活の場所が強調される場合もあるが、美少女ゲームではほとんど不可避的に場所の強調がなされる。むしろ大袈裟に言えば、RPGにおいては物語論的な運動の要求により場所の移動がほとんど不可避であったが、美少女ゲームは場所の反復が不可避であったのだ。無論、RPGにも約束の場所なる概念が規定されるときもあるが(e.g. 『幻想水滸伝 II』(1998)における主人公とジョウイの約束の場所)、美少女ゲームとの差異として求められるべきは、その反復の回数であることは自明であろう(e.g. 『幻想水滸伝 II』における約束の場所の登場は物語の最初と最後のみである)。同様に、漫画のような美少女ゲームと比較されやすいメディアにおいてにもこのような差異は簡単に見つかり、それは例えば漫画では極端なまでに同じ背景が少なく、あえて空白の白色を背景に塗りたくったところで、キャラクターの顔の位置がコマ内部を軽やかに移動することでその白色をまったく別の表情に魅せる様などに求められるはずだ。美少女ゲームは逆に、その背景と絵、そして日常の固定性によって、例えば茜@ONEを思い出すプレイヤーは大概雨と草むらの中にいる茜を想起するように、場所と記憶という類稀な抒情を獲得するに至ったのだ。ゲーム性とは、単なるゲームの自由度の問題ではなく、かのようなゲームシステム上の制約によって齎される、画面の表情からの不断なる囁き、そして不断なるが故に気づかれにくい必死の囁きに内在すると考えてもよかろう。

今回はここまで改稿したが、次回の改稿の際には、西田=上田の場所論と、DerridaのKhoraについて言及し、場所という概念の拡張を、議論の巻き起こる場所などと絡めながら試みる予定である。

また、どうにも散漫になってしまったが、我々はここにおいて、美少女ゲームにおけるゲームシステムが要求した場所の発見を行う端緒を得ることができたと思われる。これは林氏の仕事によるところが多く、最後に謝辞を述べておく。そして、美少女ゲームにおける日常の発見とともに、場所という概念は美少女ゲームというジャンルにとって注目すべき一つの事態と考えると書き記し、筆をおくことにする。

tt2007/02/01 16:15北へ行こうランララン。

rulia046rulia0462007/02/01 17:31>RPGにおいては物語論的な運動の要求により場所の移動が不可避
 不可避は過言。

K_NATSUBAK_NATSUBA2007/02/02 00:07男ならかけろせいしをかけろ

crow_henmicrow_henmi2007/02/02 04:02cogniさん愛されてるなあ。

cognicogni2007/02/02 13:22>rulia046さん
▼そこは私も一旦躊躇したところなのですが、それでも断言口調で書いたのは、場所の移動を伴わないRPGが具体的に思いつかなかったからでした。
▼原理的にはもちろん、移動を伴わないRPGが製作可能なことは了解しています。しかし事実的にそういうゲームがないのだとすれば(あったら教えてください)、RPGにもまた何らかの制約があり、PCが移動しなければならないような環境がRPGには必然的に(それこそ美少女ゲームにおけるキャラクターと場所の関係が必然的に強くなるように)構築されているのではないかと考え、あえて「不可避である」と暫定的な判断を下しました。
▼例えば一つ、RPGの制約にかかわると思われる話をしますと、RPGの代表ともいえる『ドラゴンクエスト』シリーズは土地によって出現するモンスターが違い、その強さが違うという特徴があると思います。この場所による敵モンスターの強さの変化は作劇上要請されたものではないかと。なぜなら、同じ場所に強さの混合するモンスターを登場させることは、PCの(約束された→)冒険と成長を阻害するもので、一言で言えばゲームバランスを破壊するものだから。こうしてPCは、より強い敵と戦わざるをえないために、場所の移動を余儀なくされる、と。
▼勿論、『FINAL FANTASY 8』のように、PCのレベルと敵モンスターとのレベルが連動するシステムを構築することで、強いモンスターと場所との関連性を廃棄することもできますが、そこでも場所の移動が物語的な必然として導入されているのが興味深いところです。実際、敵モンスターの種類は土地ごとに限定されているため、新たな魔法などをドローするためには土地を移動せねばならないという構造がFF8にはあります。また、この土地ごとのモンスターの限定というのは、直感的な生態学的にも妥当になり、プレイヤーの世界観構築を手伝うものとして導入されているものかと思われます。
▼そして何より、RPGという言葉で通常指示されるところのRPGは、世界の運命などという広大な物語を背負うことが慣習となっているように感じており、そうした物語の規模はPCに場所の移動をせざるをえない構造を作り出していると考えます。
▼つまり、このように『新しさ』『より規模の大きな物語』を常に追い求めざるを得ないRPG特有の構造によって、RPGは原理的にはともかくほとんど必然的に場所の移動が不可避とされているのではないかなと、臆断ではありますが、言い切りました。もちろん、ここでは原理的にはともかく、というのが厄介なもので、美少女ゲームだって背景や立ち絵の枚数を大量に用意すれば、場所の移動を繰り返す表現が<原理的には>できるわけですが、実際そのような試みがなされていることはとんと聴きません。だからRPGのそうした制約もシステム上の制約として鑑みた場合、RPGにおける場所の移動は不可避ではないかなと。
▼もちろん、『ガンパレードマーチ』はそれに反する例として挙げられると思います。しかし、GPMをRPGと呼ぶのは少し躊躇するところで、少しジャンルが違うのではないかと思います。例えばGPMには、フィールドでの敵エンカウントがないという特徴もありますし、そういう点を挙げ連ねていけばGPMが普通のRPGとは少し違うのではないかと論証できると思います。むしろGPMなどのことを考える場合は、RPGというジャンルがどの程度のゲームを包摂するのか、という議論になるでしょう。もちろん、『ロールプレイング』という字義通り受け取れば、GPMでもRPGにはなりえますが、しかし上記エントリで挙げているRPGは、RPGという言葉で通常思い出されるビデオゲームのRPGであって、『RP』の精密な定義から発するものではありません。同様にして、TRPGからの反論も棄却できるのではないかと考えます。ただ、私はTRPGの経験も知識も一切ないものでして、こちらのほうは自信がありません。
▼そんな風な理由で、「RPGに場所の移動は不可避だ」と書いたのでした。少し言葉足らずだったこと、お詫び申し上げます。

cognicogni2007/02/02 13:41コメント返しにくいコメントが二件もついて、その上「愛されている」というコメントまで付けられたら、私の返信には『空気を読む』という高度なコミュニケーション能力が要求されているような気がしてしまって、内心びくびくなのですが返信してみます。短い文章は鬼門ですねー。

さて、エントリーの中の間違いの指摘を暗示するものか、それとも切れ味が足りないとお叱りを受けているのか、ものすごく遠まわしにdisられているかもしれないという悩みを打ち明けて神経過敏な様子を見せ付けるパフォーマンスを行うべきか、上記コメントによりブログと言う場所性を開示しエントリーの中のテクストはいつでもコメント欄に開かれており他人ですらそのテクストの印象を(今回の場合は柔らかいものに)改変・改竄できるという様を示していると解釈すべきか、「今こそ馴れ合いのとき!」と感じ入りこちらも文脈を無視した「俺は北で射精した」とコメントを付けるべきか、それとも空気系の議論を結びつけたが故に空気の読めなさを主張するようにコメントを全力でスルーするのか、いや空気の読めなさという観点から考えれば普通に「すみません、意味解りません」という素の返答が最も適したものだと思われるものの、日々真人間を自称し研鑽を積んでいる私めは、あらゆるコノテーションを無視して与えられた短い文章を独自にしかし誠実に解釈するという手段こそが真っ当な理性的人間的行為だと判断し、そうすることにします。

>tさん
まず初めに思ったのは「『北へ』ってゲームを忘れてませんか」ということだったのですが、それなら多分直接的に言ってくださると思うので除外、次は「北へ行け」という命令文と解釈しましたが、実際私が住んでいる地方より北に行ったら大変やばいというか北過ぎて寒すぎて人が住んでいない地域に踏み込んでしまうことになるので、それは恐らく無いだろうと望み却下いたしました。さすがに気温がマイナス20度以下になったら冷たいとかじゃなくて痛いんですよ空気が。そして次に泛かんだのが「お前のエントリーは犯罪的につまらないから網走刑務所に行け」という、死刑を宣告するような極寒の地方への左遷命令であって、しかしやはりtさんのこれまでのコメントと照らし合わせれば恐らく違うのだろうなと。
ならば「北へ行こう」のテクストが示唆するものは、Kanonにおいて街へ到着した最初のシーンを忘れてはならないという注意であって、つまりKanonという物語が進行する場所としての『北』を上記エントリは記述していないということに対するご不満ですね。なるほど、それは一理ありますし、確かに忘れていた部分でありました。しかしここで私を驚かせたのは、tさんのコメント「ランララン」の言葉の持つ凝縮性でもあります。この「ランララン」は、Kanonにおける寒さの描写が物語の初期においては多くあったものの、物語が進むにつれその寒さが日常へと回収していく様を、寒さへの馴れの描写を挿入することではなく、寒さの描写の減少(、、)によって示されているということを伝えるために挿入された言葉であって、「ランララン」というさりげないしかし確実に陽気な一言によって、この発話者が明らかに寒さを忘れていることを暗示し、そうすることで「寒さの描写の減少」というほとんど透過的なテクスト上の出来事を私に伝えたかったのではないかなと、そう、感じました。痛み入ります。半分嘘です。

>K_NATSUBAさん
「貴様のエントリーは自慰に過ぎない、精進せよ(精子だけに!)」という風に受け取りましたが、ここで重大発言をしておきますと、わたくしマリラという仇名を授けられたからには名目上女性性を名乗っております。精子出ません。しかしそのような判断をした後でも解釈の余地が大いに残るのは当然で、例えばわたくしめがふたなりという選択肢は残存しているもののしょれはらめえぇぇぇということでみさくら的に却下いたしました後、ここでの「せいし」「かけろ」が平仮名で書かれているという点に注目すべきであるのは間違いなく、「せいし」=「精子」=「生死」を必然的に想起させる様は見事な手つきであると思います。つまり、私のエントリーに対する熱情が「生死を賭ける」までに達していないことを指摘され、かつ、美少女ゲームに関するエントリーにふさわしいものとならしめた上で、上記のDerridaへのリスペクトすら感じさせる言葉の不思議を魅せている部分が感動的でした。

>crow_henmiさん
これまでのコメントを統括されるように出てきた「愛されてるなあ」という、感慨すら含まれる言葉によって、これまでのコメントが一気に優しい色を帯びることになるというアクロバットを決めた一言、と表では受け取られながらも、しかしその実、裏に潜む難題を突きつけるような鋭さが見え隠れするのは恐らく、獅子が子供を千尋の谷に突き落とすがごとく、私により一層の鍛錬を要求するものであると感じ取りました。言い換えれば「そこで纏められちゃったら私は何を返信すればいいのだろう」というコメントのしにくさの更なる助長を必然的に生む戦略的な一言がそこには描かれたのであり、生死/精子すら賭けざる/掛けざる/翔けざるを得ない高度なコミュニケーションが必要になるこのブログコメント欄において、「愛されてるなあ」という言葉がその実「俺もお前を愛している」なるrecursiveな意味を持つことも少し考えれば理解できました。しかしここで想起すべきはどこかの801漫画の抜粋画像か何かで見た、「俺はお前を愛している! お前も俺を愛している!」という素晴らしく残虐非道なジャイアニズムであり、そこで「愛する」という他人から発せられた動詞はやがて自身の発する動詞として獲得されることになり、たった一言の「愛されてるなあ」という言葉において、読んだ者すべてが「自分もまた誰かを愛さねばならないのか…?」という疑問を持たせるに十分な含蓄を含ませるという、極度に高い技術を発揮されるコメントと受け取りました。

疲れた。

K_NATSUBAK_NATSUBA2007/02/02 13:58CRPGの場所移動ってのは時間経過のゲーム的表現なんじゃないんでしたっけ。
戦闘回数に応じて敵の強さが上がっていくロマサガのシステムと考え合わせますと。

K_NATSUBAK_NATSUBA2007/02/02 14:04「北へ行こうランララン」は『北へWhite Illumination』のOP曲「Four Seasons」の歌詞です。同様に「男ならかけろせいしをかけろ」は『絶滅キング 世紀末淫乱狂想曲』のイメージソング水子一郎「せいしをかけろ」の歌詞です、とだけ。

cognicogni2007/02/02 14:21>CRPGの場所移動ってのは時間経過のゲーム的表現
え、そんなことどこで。しかし個人的には納得の行く説明だと思います。下段のコメントともども、ご指摘どうもありがとうございます。
でも下段については、思いっきり普通に返されたらとてもとても恥ずかしくなりました。すみません、テスト近いのでテンション高いんです…。

cognicogni2007/02/02 14:25いや、というか、引用元よりも、どんな意図でそのような歌詞を書いたのかという重大なところが抜けているにもかかわらず「、とだけ」で終わらせてしまっていることに突っ込むべきだったのでしょうか。…空気読むの難しいです。

rulia046rulia0462007/02/02 15:59 例を挙げるなら『どきどきポヤッチオ』とかかな。定住型(日常型)RPG。やったことないけど『どうぶつの森』とか?
 あと、まあ、適当にダンジョン潜って経験値稼いでダンジョン城下町に戻って来たりする類のものと、その変形とか。固定した安全地帯としての自室があるような。物語内の地理的移動に対応して、家として機能する乗り物とか。
『どきどきポヤッチオ』の「ギャルゲー性」みたいなものは指摘されてるけど、それをもって非RPG性を言い出したらトートロジーつーか、定義の問題で、それならそれで定義して論じるべきだろう。とか。

rulia046rulia0462007/02/02 16:20 あと、まあ、蛇足。「場所の不可逆的な移動」な。これが物語(ゲーム)内時間に対応してるのは指摘の通り。可逆的移動に関しては、まあまったく場所移動のないゲーム(物語)もありうるけど、少数派だろう。
 更に蛇足。例えばhttp://stage-nana.sakura.ne.jp/とか。美少女ゲームとかの範疇でロードムービー風の物語をするコトも可能。ここにおいて、自動車は「家」としての機能も与えられている。とか。

rulia046rulia0462007/02/02 17:58 更に蛇足。だから『どきどきポヤッチオ』では内部的に日付と時間進行が設定されてて。知らないけど『ぼくの夏休み』とかも似たような構造になってるのかなあ?
 ある「郷愁」のような少年の日の夏、とかな「特別な時間と場所」を遡及的に発生させる仕組み。
 ところで。漫画表現においては、そのような反復効果を劇的に行う為に回想シーンに(多くの場合コマ枠を活かして)過去の絵のコピーをいっぱい貼るって手法でフラッシュバックさせる。不自然きわまりない表現なんだけど、効く。これの応用が件のシャーリーがギアスで記憶を封じられる時に画面に出た写真な。

tt2007/02/02 18:36どこからツッコミいれたものか途方に暮れて歌ってみただけなのであまりふかよみなさらぬよう。えーと、常にあるものだったらわざわざ考えなくていいじゃん、とか。

crow_henmicrow_henmi2007/02/02 20:54どこの『ポスト構造主義による「一杯のかけそば」分析』ですかと思わず口走ってしまったのですが。まあそんなツッコミはどうでもいいとして。
 どう見ても脱構築しすぎなんですが実は案外的を得ているのが怖いです。愛されてるという表現ひとつにそんな意味を込めたり読み取ったりできるぼくらって相性最高じゃないですか? 結婚しましょう!(何

cognicogni2007/02/03 00:00>ruila046さん
>『どきどきポヤッチオ』の「ギャルゲー性」みたいなものは指摘されてるけど、それをもって非RPG性を言い出したらトートロジーつーか、定義の問題で、それならそれで定義して論じるべきだろう。とか

定義してから論じるべきだった、というのはその通りで、脇が甘かったと反省します。

『どきどきポヤッチオ』はどんなゲームかすらも知りませんが、『どうぶつの森』は妹がプレイしているのを眺めていたりしました。それと『トルネコ』シリーズとかでしょうか。ああしたゲームでは、安全地帯として家や部屋が何度も出てくるのは仰るとおりだと思います。うーん、そういうのを考えると「RPGで場所の移動が不可避」というよりも、「RPGですら場所と記憶の結びつきが認められる」として、ゲーム全般に射程を広げて、繰り返し訪れる場所の特別性が云々などと述べるべきだったのか、いや、しかし…。ちょっと悩んでみます。

>美少女ゲームとかの範疇でロードムービー風の物語をするコトも可能。
確かに可能かと。そういえば『ナルキッソス』は確か立ち絵とかなくて、車の中の風景が何度も出てきていた覚えが。その辺を考慮すると、どうすればいのかなぁ、と、ちょっとまとまりません。

>ある「郷愁」のような少年の日の夏、とかな「特別な時間と場所」を遡及的に発生させる仕組み。
あーなるほど、それを考えるのは面白そうですね。「内部的に日付と時間進行」であれば、ギャルゲーもまた独特の時間管理システムを持っていることが、アシュタサポテで言及されていたような。また、時間の不可逆性を強制セーブシステムによって構築することで、そのプレイの体験が…とかも(最近だと『IDOL M@STER』とか?)面白そうなんですが。誰かやってないかなぁ、と。
ちょっと文脈が違いますが、西谷修『戦争論』を引用しながら、ふるさとについて述べる文章をgenesisさんのところを通して最近読みました。面白かったです。http://d.hatena.ne.jp/poppokobato/20061112/p1。

>漫画表現においては、そのような反復効果を劇的に行う為に回想シーンに(多くの場合コマ枠を活かして)過去の絵のコピーをいっぱい貼るって手法
そういう風に手法化されているんですか。知らなかったです。ご教示ありがとうございます。


>tさん
やはりアシュタサポテの背中は遠いですー。突っ込まれない文章書けたらいいんですけどねぇ。
「常にあるもの」やゲームシステムが美少女ゲーム特有の抒情の源であるとすれば、という話の流れなので、考えるべきじゃないかなと。

>crow_henmiさん
生涯独身と決めておりますので…(素で)。ちなみにあんなの(私のコメント)脱構築じゃないです。手際が粗雑過ぎます。そういえば最近、デリダの手際は真似できないなー、とか書いたことあります。

tt2007/02/03 01:25「常にある」んだったら、ドラマでも絵画でも彫刻でも白紙のノートでも文具カタログでもそこにあるわけで、そこから「美少女ゲーム特有の抒情」を導き出すのは時間の無駄。もしかしたら有るかもしれないエーテルの働きかけの仮想数値を数式に一々書き込まれても。

tt2007/02/03 01:38あと、通常オールドファンの使用する「美少女ゲーム」て括りだと、RPGも戦術シミュレーションも含まれる。そろそろ自分の使用する「美少女ゲーム」て言葉について範囲を特定すべきでは。

rulia046rulia0462007/02/03 02:17「美少女ゲーム特有の抒情」とすっと過言だ、と思うけど。逆説的ではあるにしろ、特筆すべき特徴のヒトツとして考察対象にすんのは妥当性高いんじゃないの? >場所性がどーの。
 もっとも。「固定アングル、固定画面の反復が逆に良い効果になってるよね」「うん、そうだね。作り手も自覚的に活かしてるね」で済ませて悪い理由も特にはないと個人的には思うけど。あとは、まあ、個々の作品毎の詳細を分析かポエム書くかじゃないのかなあ。

tt2007/02/03 04:06「場所」てなってるけど「空間」「土地」「背景」「間」…て言葉を割り振ってったら案外とあっさりバラけそう、という言い方でも可。で、バラした後でまとまらず比較できないで終わりそう。場所て言葉で一つに纏め上げるには、現時点、ちと張力に欠けます。

tt2007/02/03 04:21そろそろ言い捨て卑怯て感じですかね。えーと、里村茜 in 雨あんど空地@ONE、日常て言葉を使う気にはならない。そこにあるのは草むらに立つ少女ていう一枚の絵で、絵から抜け出して動き出す少女として茜は存在しはじめる。茜はだから、基本的に非日常の少女なんだわ。麻枝准には絵の中の少女が動き出すて発想はない、当然。毎度のことだけど、麻枝准と久弥直樹をゴッチャにしすぎで、都合よく抜き出しすぎ。久弥嫌いなんだから、茜とか使わないほうがいいんじゃないかしら。

tt2007/02/03 05:13茜の話の前提ね。立ち絵の前史には、「挿絵としての立ち絵」ていうのがある。この「挿絵としての」ていうのは、立ち絵は基本的には挿絵としての機能を喪失してるんだけども、条件を操作することで漸近的に挿絵として機能する。あー説明めんどくさいな。瑠璃子さんの逆パターンつって…わかんねえよな。ノベルの立ち絵てのは、基本的にはリーフビジュアルノベルで挿絵と立ち絵の中間的な形で与えられた立ち絵が、瑠璃子さんの夕焼けのCGで立ち絵へと進化を遂げる、てのがあってね。で、その立ち絵を挿絵へと一瞬立ち戻らせたのが茜やみさき先輩の後姿になるんだけど、ノベルゲームのキャラクターデザインの三次元化、背景の細密化・美麗化が進行していくことで、立ち絵は挿絵から完全に分離してくのね。ただ、タイプムーンの武内崇が頑張ってるおかげで「Fate」は立ち絵から挿絵に近しいところに在るんだけど。

cognicogni2007/02/03 23:20はてなメンテナンスのため返信が遅れました。

>tさん
>「常にある」んだったら、ドラマでも絵画でも彫刻でも白紙のノートでも文具カタログでもそこにあるわけで、そこから「美少女ゲーム特有の抒情」を導き出すのは時間の無駄。
ここは多分、「常にある」という修飾語のかかる言葉のすれ違いではないかなと。「常にある」がかかる対象は、美少女ゲーム(仮)のシステムによって要求される「場所」や「背景」、というのを主に意図していたわけで、「常にあるもの」全般の「存在」(それこそ存在論で扱われるような存在)を対象にしているわけではありません。そして余り言及してはいませんが、背景だけでなく音楽(BGM;ただし無音も効果として含む)も含みたいな、と考えてました。絵画ならばキャンバスの質感を考えたりするようなものとして、美少女ゲームの場所というものを考えたいな、と。

>そろそろ自分の使用する「美少女ゲーム」て言葉について範囲を特定すべきでは。
仰るとおりだと思います。RPGの定義ともども、完全にこちらの落ち度でした。すみません。
とりあえず今のところの意見を表明すれば、上にも書いているように、『Kanon』を美少女ゲームの教科書的な存在として捉えております。理由は、ヤマウチさんのエロゲーレビューのコーナートップの『Kanon』一言感想、「やっぱこれはギャルゲーの雛型だと(でしかないと)思う。」という言葉を着想にしたのと、また50本程度の体験版をやってきた限りでは、『Kanon』は美少女ゲームの雛形として通用するシステムを備えていると感じたからです。シナリオ、選択肢システム、立ち絵、背景、音楽、などなどを考えると『Kanon』は可もなく不可もなく、スタンダードであろうと。だから私の用いる「美少女ゲーム」という言葉の範囲を限定するとしたら、基本は『Kanon』準拠の、ノベルみたいなゲーム、ということになりますが…このあたりはもう少しきちんと考えたほうがよさそうです。ノベルゲームという言葉を使ったほうがいいのかなぁ。

>場所て言葉で一つに纏め上げるには、現時点、ちと張力に欠けます。
ご指摘最もなところで。私の上述コメントの通り、音楽と立ち絵と背景まで手を伸ばしてしまったので、場所という言葉に張力が欠けるかな、と。でもtさんが仰るとおり分解してしまったら違う、例えば背景だけだと何かを逃してしまう、というのは確かなところだと思います。上記エントリのように、キャラと背景が同期していて、また背景と音楽が同期していることも多く見られるから、あえて場所という非常に広い言葉を林さんから引用して利用していたのですが…。うーん…。

>茜はだから、基本的に非日常の少女なんだわ。
これには白旗です。tさんの解釈の方が筋が通っていると思われます。確かに久弥氏の手つきは、キャラ個人よりも絵全体を感じさせるものかなと。

>毎度のことだけど、麻枝准と久弥直樹をゴッチャにしすぎで、都合よく抜き出しすぎ。
いや、うーん、そうなんですけどね。作品単位で考えるべきなのか作家単位で考えるべきなのか、未だ迷ってまして…。ゲームシステムを鑑みる点では、作家性に縛られずどちらを参照しても良いと思いますが、そういう意見があるのなら麻枝氏のみに絞ってみます。

>久弥嫌いなんだから、茜とか使わないほうがいいんじゃないかしら。
えーと細かいところですが、私、久弥氏嫌いって言ったことありましたっけ。ちょっとはてなDのログ検索しても出てこなかったっす。Kanon再プレイ時に「『残光』の使い方がなってなーい!」「氏のギャグはあわないようになってしまった」と文句を言った覚えと、涼元氏嫌いと言った覚えはあるんですが。や、久弥氏のキャラでは香里とか好きですし、Kanon再プレイ時にも言ったように(Kanonだけを取り出してみれば)「テクスト自体は久弥氏のほうが好み」なので。

>「挿絵としての立ち絵」
ぐあ、『雫』の例は正直なところちょっと解らないです…。いまはとりあえず、『雫』に挿絵(はてなキーワード:新聞・雑誌・書籍などで、文章の理解を助けたり、興味をもたせたりするために入れる絵)みたいなのがあった、ということを理解しておきます。タイプムーンの立ち絵が挿絵に近接しているというのは、立ち絵の量の多さによって、場面ごとに適当な立ち絵を選べる(可能性がより高い)、ということになるのでしょうか。


>rulia046さん
>もっとも。「固定アングル、固定画面の反復が逆に良い効果になってるよね」「うん、そうだね。作り手も自覚的に活かしてるね」で済ませて悪い理由も特にはないと個人的には思うけど。
まぁ、そうなんですけれど、どうして固定画面の反復が効果を生むのか、などに考えに射程を広げたいので(脆い論だとは思いますが)、長文になってます。だから、上記エントリーで美少女ゲームという言葉が出てくるのは一番最初と、そして少し離れて後半になっており、その間に一般的な概念を記述して、できるだけ反復が持つ効果などの説明を試みようとしていました。

tt2007/02/04 00:28>タイプムーン
元々の絵がちょっと系統違いだったのさ。

cognicogni2007/02/04 14:36そこで絵柄を持ってくるのですかー。武内崇が「頑張ってる」と書いてらしたから、量のほうかと思ってました…。

rulia046rulia0462007/02/04 14:49 あー。
>立ち絵が挿絵に近接しているというのは、立ち絵の量の多さによって、場面ごとに適当な立ち絵を選べる(可能性がより高い)、ということになるのでしょうか。
 そーゆーのはむしろ、アニメや漫画への接近、としてとらえた方が良いだろうね。立ち絵/挿絵軸はまた別。
 えーと。例えば前述の『ナルキッソス』は(キャラクターの)立ち絵を廃して挿絵(製作者はイメージイラストと称している)でやってる。とかさ。

cognicogni2007/02/04 14:56ああ、なるほど、そういう意味で挿絵という言葉が使われていたんですか。『ナルキッソス』はプレイしてたので、理解しやすかったです。
(『雫』未プレイでエロゲ語るほうがダメなんだろうなぁ…と反省です。)

rulia046rulia0462007/02/04 14:58 あ。単純に「絵柄」と思ってはいけないよ>立ち絵/挿絵。

rulia046rulia0462007/02/04 15:05 むー。ウチの地方では「一枚絵」っつーんだけどね>「挿絵」。

cognicogni2007/02/04 15:18用語の混乱の元がようやく。「挿絵」と「一枚絵」って同じものでいいんですか。違うものだと思って混乱していました。
(うちの地方でも「一枚絵」という言葉を使うため、「一枚絵」だとCGギャラリーとかで見られるものだと理解してたんですが、あえて「挿絵」を使っているということは、「挿絵」にはもっと違う意味を持たせたものとして理解しておりました。)

上側のコメントについて。「絵柄」だけじゃないとすれば、「塗り」とか…?うーん、塗りは確か武内氏じゃなかったような…、いやそれよりも「絵の系統」に関する他のファクターを思いつかないし、なんかちょっとまとまらないので、考え直してきます。

rulia046rulia0462007/02/04 15:45 あ。すまん。混乱させたか。不用意に方言書いた俺が悪かった。
 えーと。「イベントCG」とか「スチル」っていうのかなあ? エロゲ業界的には。「CGギャラリーとかで見られるもの」な。と、ゆーのとは別>「一枚絵」。
 う。これ、説明しにくいなあ。
 えーと「「挿絵」にはもっと違う意味を持たせたものとして理解しておりました。」は合ってる、と思う。

rulia046rulia0462007/02/04 16:09 あー。言葉足らずとゆーか、断片的記述になるけど。
 立ち絵/挿絵軸で見ると、「挿絵」側に、ある種の過剰性があってですね。それは「一枚絵」としての魅力でもあるんだけど、反復すっとウザイし、つーか適合場面が制限される。雑な表現でアレだが。
 適合場面の制限に対する対処としては二つの方向性があって、それぞれ『ナルキッソス』『Fate』にとりあえず代表させてもイイかな。この方向性の違いは尺に依存してると推測できる。
「絵柄」や「塗り」に依存してるわけじゃない(無関係ではないが)のは『ナルキッソス』『Fate』並べればわかるだろう。
 とかで、どうですか?

rulia046rulia0462007/02/04 17:00 うーん。が。立ち絵/挿絵軸なんて概念は、まあtさんの見識と鋭敏さに感心しつつ、ココロの片隅にメモして一旦忘れてイイと思うよ。
 でさ。反復やらなんやら日常/非日常のハナシに関してはhttp://rosebud.g.hatena.ne.jp/cogni/20070126/p1から後退しちゃってるし。や、足場固めの作業だとは思うけど。むー。

cognicogni2007/02/05 00:34>「絵柄」や「塗り」に依存してるわけじゃない(無関係ではないが)のは『ナルキッソス』『Fate』並べればわかるだろう。
ああ、なるほど、なんとか理解の糸口がつかめたような…。

ただやはり十全に理解できたとは言えそうにないので、お言葉に甘えて、tさんの鋭い見識に感心しつつ、少し時間をかけながら考えてみます。

「反復やらなんやら日常/非日常のハナシ」に関しては、まあ、うーん、できるだけ先人の論を取り入れて、「記憶と場所」という風に、日常と場所の関係を考慮に入れたいなー、と思っていたのですが、どうにも甘さが目立つ立論になってしまい。勉強しなおしてきます。

tt2007/02/05 02:48へこまれても。むしろ俺の使う語法は世界の誰よりも正しい、ぐらいのノリで反論されたほうが面白いのに。カントの文章はカント本人より俺のほうが読めてる、とか。言語? 存在? 俺の言い方で統一されるべきだね、とか。そーゆー場所なんだから。あ、場所て使っちゃった。
場所で。舞台で上演される演目を題材に考えてみる。場所性が要求される度合いで比較すると、物語劇は場面ごと場所がある。落語みたいな話芸になると移動は少なめになるけど場所は設定される。漫才となってくると、二人がどこで話してるか気にされない率が高くなってくる。イマドキの一発芸の芸人になってくるともう「今、舞台の上に立って客に向かって話し掛けてくる」てことで、舞台以外の場所が想定されることは殆どないと言っていいだろう。
さて、浩平と長森の二人の会話は夫婦漫才と呼んでも誰も文句を言わないと思うのだが。この夫婦漫才と上記の本当の漫才との間には、どのような差があるのだろうか。

sirouto2sirouto22007/02/05 03:06http://rosebud.g.hatena.ne.jp/sirouto2/20070205/p1
はじめまして。しばらく更新をお休みされるということで、すれ違いになるかもしれませんが、cogniさんの美少女ゲームの場所論を拝見して、参考にしながら、まだほんのアイディアだけですが、「場所の動的生成」ということを考えました。場所移動型ADVは地図が出るので、一見して地理的空間のように見えますが、実はWebのハイパーテキストのように、多形倒錯的な欲動によって、断片が浮遊している無意識的な場になっているのではないか、と思いました。そこからノベルゲームの場所を考えていく予定です。拙い文章ですが、もし何か感想がありましたら、よろしければお聞かせください。それでは。

tt2007/02/05 03:22あと立ち絵と挿絵の実例。
http://kajipon.sakura.ne.jp/jojo.htm
月姫ではアルクェイドが、Fateでは遠坂凛がレベル1(4巻)の表紙のポーズと同じポーズをとっていることに注意。

cognicogni2007/02/05 14:12
>tさん
へこんでませんよー。へこんだのは2/4のエントリにリンクを張った『「批判・批評」について』という文章を、学部生が書いたものだと勘違いして、「私は要らない子」状態になったからです。tさんとのやり取りでへこんだんじゃないです。

立ち絵/挿絵については、反論しようにも、相手の言ってることを理解してからにするべきだと思っているので、とりあえず理解に努めようとしています。えーと、それで、今回の例だと…キャラクターの身体の動き?瞳とか誰かがいるとかを示す立ち絵の、余剰としての…。でもそれじゃ「アニメや漫画への接近」とかになるような。ナルキッソスはキャラの移動・行動を極力抑えて、挿絵的にとか。ああー、やっぱりまだ『挿絵』が解りません。すみません、理解力が乏しく。

>さて、浩平と長森の二人の会話は夫婦漫才と呼んでも誰も文句を言わないと思うのだが。この夫婦漫才と上記の本当の漫才との間には、どのような差があるのだろうか。

質問の意味が解るようで解らない状態ですが、じゃあとりあえず、浩平と長森は恐らく舞台の上で『夫婦漫才』はできないだろうが、学校への登校途中や学校校舎内なら『夫婦漫才』ができる、という差はいかがですか。いや、なんか違うな…。架空の物語を語っている人が、通常現実世界と呼ばれる世界のうちへ物理的に存在し、彼らの語る物語に場所が観念的に必要とされる状態(漫才)と、架空の物語にいるキャラの存在がほぼ完全に観念的に確保されており、彼らが架空のある場所を占めている状態(浩平長森)、というのを比較すると…。あー、いや、これも少し違う。…えーと、なんか自分の中のどこかで場所という概念が完全に破綻しているので、少し考え直させてください…(泣)

>sirouto2さん
はじめまして。お名前は存じております。2/5のほうにレスポンスを書きますので、ご笑覧いただけると幸いです。

cognicogni2007/02/05 14:40アシュタサポテの過去ログ、全然読めてなかったと今更猛省。

rulia046rulia0462007/02/05 16:05 あー。「浩平と長森の夫婦漫才は彼らの認識しうる観客の存在を必要としない」
 いや。それはイイけど。場所性込みでハレ/ケとかアレな用語持ち込んでもイイけど。
 『ナルキッソス』『Fate』では。非日常化した日常:日常化した非日常みたいな対称性があって。反復性を失った日常、反復性を得た非日常、でもイイが。おそらくそこに由来して『挿絵』としての絵的な方向性も変わる。絵というのはそーゆー差を表現出来る(と、おれは信じている)。
 で。再度述べるけれど。立ち絵/挿絵軸は一旦射程外にした方がイイと思うよ、老婆心ながら。
 つーか。『Kanon』なりをベースに仮説組んで、有効射程はあとで検証。その後に論考拡張、の方がイイと思うなあ。
 一番重要な提言は、やっぱ、
>そろそろ自分の使用する「美少女ゲーム」て言葉について範囲を特定すべきでは。
 これだろう。

cognicogni2007/02/05 22:22>おそらくそこに由来して『挿絵』としての絵的な方向性も変わる。絵というのはそーゆー差を表現出来る(と、おれは信じている)。
あ、これについては大体理解できてきたような。でもとりあえず、お言葉通り、(議論をこちらによこされない限り)挿絵については保留しておこうかなぁ、と。絵は難しいです。漫画論の方にでも尋ねようかしら、とか。

>つーか。『Kanon』なりをベースに仮説組んで、有効射程はあとで検証。その後に論考拡張、の方がイイと思うなあ。
ですねぇ。ちゃんと射程を決めてからのほうがいいですね。美少女ゲームという言葉の定義も改めて対象にして、再考してみます。

hiyokoyahiyokoya2007/02/19 02:34 最近ネット上から引きこもっておりました。おひさしぶりです。
 遅ればせながら読みました。コメント欄も含めて長かった…
 読んでいて、だいぶ昔にドラクエについてヌルヌルと書いた話を思い出しました。手前味噌ですが。
http://www.critiqueofgames.net/talk/005_2.html
http://www.critiqueofgames.net/talk/005_3.html
http://www.critiqueofgames.net/talk/005_4.html
 …これだけ張っておくと、cogniさんはいろいろ邪推をしてしまいそうですんで言っておきますと、僕が昔書いた話はヌルヌルなので、それなりにこういう話をきちんとした道具立てをした上で書こうとしてくれており素晴らしい!というのが第一の感想です。
 で、その上で、「RPGではなかった」というのは、まあ言い過ぎではあるけれど、少し表現を変えて「RPGよりも強力に、常に立ち現れることが美少女ゲームでは前提とされている」とか強弁しておくぐらいでいいのでは。
 あと、定義とかマジメに考え出すと無駄に労力かかるので、議論の対象を指し示すだけなら「80年代中盤以降に日本のコンシューマ市場でFF,DQを中心的に発展を遂げた和製RPGの話」=「すなわち日本で一般的に<RPG>といったときに一番メジャーに想起されるもの」。ギャルゲに関してはさほど詳しくないですが、「90年代中盤以降『雫』『痕』の登場以降、内容的にも/システム的にもこれに影響を受ける形で作られた一群の作品。具体的には……など。具体的には下記のようないくつかの特徴を共通に持つ」とかいうのを、前に東さんがプレゼンで書いていた記憶があります。
 ruliaさんとかぶりますが、デフェンシブに定義の話を考えるのもいいとは思いますが、話の有効射程を広げてみてほしいですね。蛇足でした。ではでは。

cognicogni2007/02/19 13:28お久しぶりです。拙文にコメントありがとうございます。

紹介された文章を拝読しました。なるほど、生活というテーマで過去にやられていたのですか…。自分のリサーチ能力に恥じるとともに、情報提供感謝いたします。確かにかの文章の路線を進めると、上記では排除したRPGを(弱くとも)組み込めそうです。
定義に関してのアドバイスもありがとうございます。その辺りはおいおい自分で定めていくつもりですが、確かに東先生の定義を流用するのも良いと思いました。先生も私と同じような対象しか語っておられないようなので。
拙論については未だ甘い、というか今読み直したら改稿したいところばかりでしたので、時間を見つけて少しずつ変更していきたいと思います。

hiyokoyahiyokoya2007/02/19 16:31先に挙げたプレゼン資料載ってますね。字が小さくて判別がつらいですが
http://image.itmedia.co.jp/games/articles/0608/30/l_ki_cedec10.jpg

cognicogni2007/02/19 23:13ありがとうございます。

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