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2007-02-05

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ttp://rosebud.g.hatena.ne.jp/sirouto2/20070205

えー、ものすーっごく恥ずかしいのですが。あと私の文章は濃密じゃなくて昏迷を窮めているだけなので(そして今になっては破綻を自認してます)。一旦引っ込めて考え直したいんですがー。

DerridaのKhoraを使ったのは確かに失敗ですが、あれを利用したのは、「場所については、空間的なものや土地、ゲームの背景だけを指しているんじゃないよー(そうしたかったよー)」という概念の拡張を行う一つの補助線だったわけです。コメント欄にも書きましたが、音楽なども射程に入れて(そしてDerridaを補助線に使ったからには、問いを呼び込むことも含んで)場所と呼びたかった。わざわざデリダの言葉を使ったのはそのためです。ちなみに正しくはKhoraじゃなくてKho~raみたいにoの上に~っぽいのがつきます。

まぁ、先日のエントリのテクストとこれから書かれるであろうテクスト、そしてコメントとを合わせた総体としてのこのブログが「日常」という一つの問題系を通じて『ONE』のSSとして読まれ得ることを密かに期待しているとか、あらゆるものを包摂する最も表層的な「場所」としてのブログの働きが、さりげなくコメントされている歌詞の引用や空気を読めてない私の長文レス、そして比較的真面目に見えるやりとりなど、それら全てが事実歓待され、そしてその内から立ち絵/挿絵という新たな議論が持ち上がってきているように、今もこの場所であらゆる問いと疑問と答えが来るべきものとして待ち続けられており、ここで行われる共同作業自体が日常と場所の顕現としているような、「何かを呼び込む場」として常に既に展開されているブログなのだと読者に感じてもらうことが望みである(事実この辺の説明に適当な具体例として、tさんのコメントで「そーゆー場所なんだから。あ、場所て使っちゃった。」ていうのがある)、なんてアシュタサポテリスペクトな事は口が裂けても言えないのですが、まぁ、日常や場所という制度的な言葉を反復し徐々に抽象化していってthere isぐらいに抽象しすぎることで、美少女ゲームの考察においてテクストや絵、キャラやイベントなどを簡単に実在しているものと見做すような素朴実在論から考察者を引き離し、最早それらの言葉がゲーム内の事物を指示することには留まらず、更には考察者(と自称していた者たち)=外部観照者にすらも影響し、彼らを内部観測者へと引き摺り下ろすことによって、もっと違う場所から考えはじめてもいいんじゃないかな、という示唆を試みようとした以前に、どうにも自分の中で論の破綻が確定したようなので、とりあえずこの件についてはこの辺にしておき、とりあえず具体的にはやはりゲームシステムによって制約されつつも表現されたものを表層として、背景-音楽-立ち絵などがどのようにあるか(、、、、、、、、)(←述語的な面を強調)などといった、余り目が行かないものを契機にゲームを捉えていきたいなぁ、と思っています。ああ、全然まとまっていません。すみません。

で、sirouto2さんの場所論ですが、多分私とは全然違う方向なんじゃないかなと。全然それで構いませんので、着想を得たならどうぞご自由に論を育ててください。

とりあえず一個違いを言っておくと、以下。

規則が先行していて、それへの関心に応じて、空間を分割して場所が生成するのです。

私の場合は規則の無根拠さを第二段落初っ端で前提して、規則の実在とかはあまり信じてないので(事後的に仮構される、ぐらい)。そして規則と反復の関係性と直接指示の不可能性を捨象したら多分互いの論は全く違うものになるんじゃないでしょうか。

ということで、一方の私はいろいろ考え直しの方向ですが、sirouto2さんはどんどんやっちゃってください。

sirouto2sirouto22007/02/06 08:05>多分私とは全然違う方向
そうですね。ただ方向は違っても関係はあると思います。つまり、ノベルゲームの選択肢のような分岐点を、場所としてのブログで実現してみたかったのです。せっかくだし。
「DerridaのKhora」は動的な場所、生成する場所、位に単純に捉えていて、その実践にはゲーム形式は向くだろうと考えています。もう一つは、その動的生成に時間と場所が関係すると思いました。端的なのはYU-NOとか反復系ですね。
>規則の実在とか~事後的に仮構
文章の最後がバタバタして、「規則」という言葉を乱暴に使ってしまったのですが、さすがに的確で鋭い指摘ですね。素朴実在論ではなくて、プレイヤーと主人公の関心・転移に応じて、場所が構成されるという流れなので、規則の事後性は重要な論点です。遡及的に見出される対象でありながら、原因として先行しているという意味で、規則というより「対象a」とか、そういう何だかよく分からないものが近いのかもしれません。
…というわけで、また何かの際に言い掛かり的な文章を書いてしまうかもしれませんが、よろしくお願いします。

cognicogni2007/02/06 11:00私を褒めても何も出ませんよー。
まぁ、先のエントリが、何かしらsirouto2さんの考察に役立つようなことがあれば、それは願ってもない僥倖だと思います。私は今、あまりコメントできるような状況じゃないですが(頭の中がこんがらがってるのとテスト前とで)、今後の論の発展を楽しみにしてます。
ということで、こちらこそどうぞ宜しくお願いします。

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