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2007-02-21

[] Kanonと家族  Kanonと家族 - こぐにと。 cognit. を含むブックマーク はてなブックマーク -  Kanonと家族 - こぐにと。 cognit.  Kanonと家族 - こぐにと。 cognit. のブックマークコメント

http://d.hatena.ne.jp/tukinoha/20070221/p1

図式的に捉えるのはいまいち好きではないのですが、簡単に反論を挙げるとすると以下のように。『家族計画』においてはその物語中で血縁的な家族が露悪的に描かれ、「家族」の重力圏から抜け出そうとされる主人公らの試行が続き、結局はそれらから抜け出てハッピーエンドと銘打たれるものの、わざわざ血縁家族が露悪的に書かれた上で作中で幾度も強調されるそうした家族の弊害というものに引力があるということは、従来的な意味での「家族」の強さが物語中で逆照射されていると捉えることも可能で、『家族計画』においては「血縁関係、公権力による承認は重要な問題とはされていません」などと言明できるはずもなく、「血縁関係、公権力による承認」が「重要な問題」として完全に前提されていると考えて良い。物語において乗り越えるべき障害と描かれている以上は、かかる障害は重要な問題だろうから。

必然性がなければ、おっさんよりも美人の母親を出したいと思うのが人情でしょう(酷いな)?

麻枝准がインタビューでそのまんまのこと言ってました。加えて、父親の不在をKanonの語りのレベルで指摘するのはまあ妥当だと思います。

そういえば、「「父」親を家族に入れる必然性もなくなっている」と語っている際、わざわざカギ括弧を付けて「父」と書いているところを鑑みるに、父親をそのまま父性だと考えているのかと愚考しましたので、念のための議論を行えば、例えば、

いや、「父性の不在」をいうには男性キャラをチェックしさえすればよい、と思っている馬鹿どもがどうにも腹立たしいのでつい。太宰治だって男性の本質はマザーシップだといっています(吉本隆明の伝えるところによれば)。ゲームシステムが父性の役割を果たしている、といった山内さんは流石だと思います。

とは今木さんの言@掲示板(発言618)。母性と父性はあくまでも相対的な区別であり、女性に父性が宿ると言明することすら可能だし、その逆も可であり、山内さんの仰るようにゲームシステムが父性の役割を果たしている、ということもゲームのレベルで考えることは可能ではないかと。

また、他のエロゲーでも父親不在の主人公がままあり、父親不在は別にkey作品に限った話ではない。ただ、他のエロゲーだと、両親不在の理由が大体海外出張や死亡で、そうした説明が説話論的な水準で混入しているところが割と重要だと思っているのですが、Kanonにおいてはこうした不在の説明が徹底的に省略されており、テクストを検索してみればわかるように、名雪の父について父という単語を使って語られるのは、

【名雪】「…わたし…お父さんの顔、知らないから…」

という一行だけで、後の「父」の言及は佐祐理さんの父について数度と、栞の父親について一度のみであって、Kanonのテクストが面白いのはここじゃないかと。また父性といえば、舞シナリオにおいては、生徒会という制度=父があったり、真琴シナリオにおいては真琴の先例として美汐さんの例がありそこには運命に逆らえないという秩序=父がある、と解釈することも可能で、父親は確かにいないかもしれないけれど、別に父性が欠けているわけじゃない。こういう議論はつまんないですけど一応念のため。

親密圏の特徴1の具体性に関しては、立ち絵の数が制限され登場人物の数が制限されているからでは(この辺の手つきはシステムに還元したがる自分の癖ですけれど)。また、あるヒロインのルートに入ったとき、他ヒロインが不在になってゆく感覚を説明するのには、親密圏という単語を利用するよりも吉本隆明の対幻想を持ってきたほうが説明しやすいような気もしますが、家族という単位を見るだけなら親密圏になるのかなぁ。「それなのになぜ『Kanon』の家族関係は「親密圏」で説明できてしまうのか?」については恐らく久弥ルート、特に名雪シナリオの話だけなので沈黙しておきますが、舞や真琴においては物語中で彼女らの家族の影はわりと排除されていることは気に留めるべきではないかなと。あと、佐祐理さんの家族も勿論「『Kanon』の家族関係」に包摂されると思いますが、かの家族は親密圏で説明できますか。できなければ、「水瀬さんちの家族関係」とかにすべきでは。

最後に言っておけば、別に「家族」が失墜した後に別の概念を差し込む必要性を感じないんですが。あるとすれば、役割ではなく素顔で向かい合う、とかそういう方向じゃないかと思うのですが、その辺はJ文学を評価する石川忠司が「素顔で向き合ってぎくしゃくしてるほうが健全」みたいなことを『文学再生計画』で仰ってました。ちなみにあれは2000年発売です。その辺の議論は乗り越えられるんでしょうか。

えーと、家族と言えば、現代思想の『家族』特集の中で面白い論文があった覚えがありますし、『成熟と喪失』は必読であり、Engelsによる"The Origin of the Family, Private Property and the State"ていうのもあります。ところで家族を無条件で肯定していた時代なんてあったんですかね。

あー、なんか自分の文章を読み返してもつまんねぇですね。精進します。

追記:

エッセイ終わんない。

追記前に読書案内も終えているので、コメントするのはこれを最後にしますが、

ただ、エロゲにおいて母親が父性(特に強権性)を象徴していた例を寡聞にして知らないのと、逆の例はそこそこ知っていることから(『世界ノ全テ』など)、エロゲにおいて父親が父性を象徴していると考えるのはそれほど的外れではないと考えました。ゲームシステムが父性の役割を果たしているという考えも同意できるのですが、それはゲームシステム以外に父性が存在することを否定するというわけでもなく、置いといて良いのではないかと。

ていうところは、舞シナリオの生徒会の役割とかゆって、父親以外の父性の存在を追記前にも既に指摘してますよね。だから私も父親やシステム以外にも父性と呼ばれるものがあると思ってるし、また母親が父性を発揮しているとは(エロゲーにおいては)思いません。ただ、あの議論は、父親=父性という固定観念に近い結びつきを否定する議論が先例にあったという指摘を行うこと、そして念のためやったもので、父親=父性でない(少なくとも留保を要する)ということをご理解いただけているのなら問題ありません。

倉田家や美坂家から、あきらかに反「家族」的な要素を見つけることは困難です。しかし、だから親密圏では説明できないというわけではありません。

んー、親密圏の特徴を三つ挙げていらしたんで、それをひとまず親密圏の定義と考え、あなたが扱っておられる『Kanonの家族』がその定義に当てはまるかどうか見てみようと、佐祐理さんとこや美坂姉妹の家族を挙げてみて、『親密圏は具体的な誰かへの関心で成り立つ』『公共圏に適応できなかった者にとって癒しの場となりうる』には当てはまらないんじゃないかなと思って書いたわけですが、かの家族らも「親密圏では説明できないというわけではありません」のですか。うーん、この辺は感じ方の違いですか。むしろ祐一・舞・佐祐理さんの三人が擬似家族的な形態をとっており親密圏を構成している、とかそういうほうがしっくりくるんじゃないかと思っていますが。

最後に「ところで家族を無条件で肯定していた時代なんてあったんですかね。」ですが、現代もわりとそんな感じです。「家庭崩壊」なんて言葉があるのも、肯定されうるものでなければ家庭じゃない、という理屈ではないでしょうか。

肯定されていること(事実)と肯定されうること(可能性)、「肯定すべき」という観念が一般的に流布していること(倫理)はそれぞれ違いますでしょう。私が問うているのは事実問題であって、家族というものが肯定されてユートピア的に機能していた時代が事実あったのかということです。家族がそのように機能せねばならないという倫理的要請ならほとんどの時代であったでしょう多分、儒教や朱子学とかの影響で。恐らく文系の方だとお見受けして私(理系っす)よりそっち系には詳しいと考えて訊いてみたんですが、別に知らなければ知らないでいいですよ。ただ古典小説を読んでいる分には、家族関係のしがらみは結構古くから題材にされているような感じがあって、そうした感覚から、家族と言う概念にほとんど疑念が持たれなかった「幸福な」時代はあったのだろうかと疑問に思いまして。

あと。父の不在が「エロゲの都合」と断言してしまうのも相当貧困だと思いますんで、ちょい追記しておくと、エロゲーにおいて両親不在でなければ性行為を行えない、という特徴があるのならば、性行為は親に見つかってはやばいという倫理観が一般的に存在するということも読み取れると思います。これから時代が進むにつれて一般的通念が変わるのならば、もしかすると家に親がいても性行為に及ぶようになるよう徐々に変化し(もしくは主人公らが「性行為に及ぶから家の外に出ておいてくれ」と両親に向かって恥じもなく言うようになれば)、それが当然のように多勢をしめるようになるかもしれず、そうしたエロメディア表現上の変化は現実における倫理観の変遷の反映と取れることも可能です。別にフィクションなんだから両親がいるところで性行為に及んでも構わないのに、どうしてそれでもエロゲにおいて両親が家から排除されているのか、とでもいいますか。まぁ、独り言程度に受け取っていただければ。

tt2007/02/22 02:07男がいない、て話で最近の個人ブームは「エロの敵 今、アダルトメディアに起こりつつあること」のアダルトビデオ評論。筆者はレンタルビデオからセルビデオに移行していく過程で男優の姿や声が画面上から排除されていく、ていう言い方で解説してて、宮台系譜のサブカルチャー論・郊外論でも大塚系譜のエロ漫画論でもどっちでも使えそうなネタなんだけど、どちらにせよエロゲーより遥かに大きな消費人口の世界を扱ってるので書いときます。

cognicogni2007/02/22 03:04毎度のことながら、ありがとうございます。
AVにはそういう流れがあるんですね。寡聞にして知らなかったです(AV自体あんまり知らないので…)。その評論には男の姿の排除の理由が説明されてあるのでしょうか。
あと、ここではやはりastazapoteのhttp://astazapote.com/archives/199910.htmlにも一応言及しておくべきかと思いました。いまだpendingしてある「感情移入」についても色々調べたいんですけど、なかなか…。

tt2007/02/22 03:21>男の姿の排除の理由
顧客からのフィードバックを重視した(レンタルの頃はマーケティングなど基本的に行われなかった)ところ「男優映して欲しくない」の声が多かったため、みたいな説明でした。セルビデオを買う客層の中身を考えるのはまた別の話。

tukinohatukinoha2007/02/22 10:16はじめましてのtukinohaです。ご指摘ありがとうございました。
「家族関係のしがらみ」によって「家族」がネガティブに描かれることというのは昔からありましたが、それは一方で「正常な家族」があるというのを前提にしているためにネガティブなものとなってしまうのではないでしょうか。今回僕が「家族の変質」と言ったのは、家族の実態がどうかということではなくて、倫理観の変化、もしくは定義の問題です。
あと性行為と倫理観の問題なんですけど、性行為と生殖が切り離された社会では「セックスはキスよりもレベルが高い」という考え、つまり「A→B→C」というモデルが意味を成さなくなるのではないかと。

cognicogni2007/02/22 15:04>tさん
へー、そうなんですか。AVで百合やレズが隆盛してるわけでもなかったりすると、益々興味深くなりそうな感じです。

>tukinohaさん
はじめまして。はてなキーワード『麻枝准』から辿らせていただきました。

>「家族関係のしがらみ」によって「家族」がネガティブに描かれることというのは昔からありましたが、それは一方で「正常な家族」があるというのを前提にしているためにネガティブなものとなってしまうのではないでしょうか。今回僕が「家族の変質」と言ったのは、家族の実態がどうかということではなくて、倫理観の変化、もしくは定義の問題です。

ああ、そうでしたか。それは失礼しました。従来の家族の概念が適用できなくなってきた、と言明されている際に、従来の家族の概念と現在の家族の実態を比較されているようなので、その辺りから私が概念の問題と実体の問題を混同していた模様です。

>あと性行為と倫理観の問題なんですけど、性行為と生殖が切り離された社会では「セックスはキスよりもレベルが高い」という考え、つまり「A→B→C」というモデルが意味を成さなくなるのではないかと。

えーと上記エントリの最終段落はそちらのブクマコメントに対してのものなので、お気になさらず。エロメディアにおける性行為の表現から世代の倫理観が見え隠れする、ということを書いたのはあくまで例のつもりでした。この議題についてのこれ以上の議論はあんまり本論と関係ないように思いますし、その辺の知識は全然無いので今回はスルーということでお願いします。

crow_henmicrow_henmi2007/02/23 17:08みなさんCLANNADのこともたまには思い出してあげてください。

tt2007/02/24 20:45酔った勢いで少しだけ反応すると、「CLANNAD」は「Kanon」なんかより余程言い訳きかない形で「家族」を使ってる。で、おねかのえあに対して、CLANNADから遡って読み込む形で「家族」を見出す、ていう読みも成立しうると思う。これはさしもの麻枝マスター今木さんも言い訳できないと思います(挑発
じゃあ、何でそんな方向に行ったのかて話も出来るはずで、まあCLANNADがどうも怪しいてのは、発売前から何となく予想されててさ、そのせいでか知らないが今木さんの日記ではCLANNAD発売される頃になっておもむろにAIRを再プレイしてるっていう○ーマ○オニーウォッチャーとしてはとても面白い話があるんだけど、まあそんなんで。ひでえ文章だがアップしますが酷いと思ったら削除しといてくださいby酔っ払い

cognicogni2007/02/25 11:27tさんの仰るようにCLANNADから遡行してみせることも可能、というか麻枝准作家論をやるならすべきことかとは思いますが、自分としてはCLANNADって家族の話にせよ他の話にせよどうにも俎上に上げにくい印象があって躊躇気味です。
個人的にはCLANNADの街の話とかのほうに興味があるので、そういう視点からAIRの町やKanonの街について遡ってみるのも面白いんでないかなと思ってます。

cognicogni2007/02/25 11:59あと別の話の文脈で、メッセで教えていただいたんですが、ササキバラゴウの視線化っていう概念がもろに該当しそうな話題ですね>AVの男優

tt2007/02/25 20:19>ササキバラゴウ
の背後には大塚英志がいるのでそのへんのエロ漫画論とかを。
CLANNADから遡るなら、まず最初に春原の話からね。家族の話をするなら春原兄妹を、場所の話をするなら春原の部屋を。ディスコミュニケーションとか言い出すなら春原兄エンドを。グランドフィナーレの話をするなら春原の里帰りを。

cognicogni2007/02/26 01:37了解しました。大塚英志のエロマンガ論をチェックしてみます。
春原の話から遡行するなら折角だからリトバス発売を待ってからのほうがいいかなと思います。棗兄妹も出ることですし。あと、春原の部屋の場所性と(他のゲームではしばしば出てくる)部室の場所性の対比とか、今考えればCLANNADからでもいろいろ考えられそうですが、いまいちモチベーションが湧かないというか(ストライクゾーンではあるけど豪速球ではない、とかそんな感じで)。まぁ、近いうちに再プレイしたいです。
そういえば、家族を形成し、ご息女に「汐音」と名づけ、新著では子どもの生育環境に言及しているらしく、さらにはCLANNADの背景に母校が使われているというA先生のCLANNAD批評ていうのが読みたくて、新刊予告の800ページの批評本の中に採録されてないのかなーと淡い期待を持ってます。

KalemKalem2013/06/22 17:03Thank you so much for this atrcile, it saved me time!

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