BLUE ON BLUE(Rosebud Side)

2006-11-02

[]ひぐらしゲーム性 01:38 ひぐらしとゲーム性 - BLUE ON BLUE(Rosebud Side) を含むブックマーク はてなブックマーク - ひぐらしとゲーム性 - BLUE ON BLUE(Rosebud Side)

ひぐらしのなく頃に」とは、厳密に云えば(他の大半のゲームにもその要素は存在するけど)「《ゲーム》を擬装した物語消費プラットフォーム」なのではないかという仮説は、かなり以前から抱いているものですが、それについてなにか断定的なことをこの場でいうには、ちょっと資料が足りないので、今のところ思い付きをメモするだけにとどめておきます。

ちなみに、この界隈での《ゲーム》の定義についての議論。論考の下敷きにしようかなと。

東浩紀美少女ゲームゲームといえるのか」

「従来のゲームは、プレイヤーシステムのインタラクションがゲーム性だったが、美少女ゲームプレイヤーは、インタフェースマルチエンディングというシステムゲーム性を感じているのでは」

ゲームにまつわるコミュニティー空間まで含めてゲーム性なのではないか、という仮説も提示する。美少女ゲームについて語るコミュニティーブログネット上に数多く、ニッチゲームでも仲間を探し、議論するのは難しくない。

インターネットがなければ、PCゲームという小さな世界の、さらにアダルトゲームの分野でどんなことが起きているかなんて、絶対に広がらなかった」。東さんは自身が大学生だった80年代と比べ、個人のオタクコミュニティーに属することがはるかに簡単になったと語る。

その結果プレイヤーは、2次創作コミュニティーもひっくるめたゲームの“外”の世界に手軽に触れることができるようになり、そこに新たなゲーム性を見い出しているのではなかと東さんは分析する。

該当記事でも明らかだと思うのですが、僕は「美少女ゲームゲーム性が高い(あるいは低い)」とか、「美少女ゲームからゲーム性を捉え直すべきだ(あるいは捉え直すべきではない)」とか言っているのではなく、「一方に美少女ゲームゲームだと思っているひとが多く、他方に美少女ゲームゲームじゃないと言っているひとが多いみたいなので、まずその状況について考えてみよう」と言っているだけです。僕はこの講演では、ゲーム性とはなにかについて、まったくなにも語っていません。むしろ、「ゲーム性」について神学論争をしてもしかたないんじゃないか、みんなゲームだと言っているんだからそれはゲームなんじゃないか、というのが僕の暗黙のメッセージです。

ただ僕としては、そこで「みんなゲームだと言っているんだからそれはゲームなんじゃないか」は別に終着点ではなく、そういう状況こそ思考の出発点になるんだよ、と言いたかったわけです。なぜならば、言葉の定義をめぐる論争や齟齬は、一見不毛なように見えて、実は消費者共同体の分化やメディア/市場の変化を反映していることが多いからです。「ゲームとはなにか」に対する回答は無数にあるでしょうが、それは決して「ゲームとはなにか」が空しい問いであることを意味するのではなく、むしろその多様性からユーザーの状況が見えてくる。言葉の闘争は、しばしば文化のダイナミズムの指標になります。

そういう観点で見ると、ここ10年くらいの美少女ゲームの進化(退化?)は実に興味深いのではないか。そこからは、「ゲーム性」という言葉がもはや単体としての作品の性質を指すものとして使われていない状況が浮かびあがるのではないか。そしてさらに、それを分析してみると、僕たち(これは美少女ゲームユーザ以外も含めて)がいま直面している物語想像力の変化やユーザコミュニティの変化が見えてくるのではないか、というのが、僕の言いたいことでした。

グレッグ・コスティキャンゲーム

上記関連して、ノベルゲーにおける「意思決定の無効性」議論まとめ

参考書籍

こんなところです。

genesisgenesis2006/11/02 18:00ノベルゲーム「ではないもの」から考える,というのは重要なことだと思います。私も気をつけて調べていたところなのですが,ACT(アクション・ゲーム)は,コンシューマー(家庭用ゲーム機)の台頭により,パソコンゲームにおける存在感はかなり低まっています(1991年に登場した『ストリートファイターII』が移植されたのはX68)。ただ,戯画『V.G.』という重要な存在がありますので,忘れてはいけませんね。▼SLGの系統図は,調教系(『雛鳥の囀』など)との枝分かれを示したうえで整理する必要があるかと思います。ADV系の縦糸を編んだ後にまとめてみようと思っています。▼ 脱衣系は『スーパーリアル麻雀』を初めとして数が多いのでリストアップが大変なのですが…… そちらは将来的な課題として拝聴しておきます。