BLUE ON BLUE(Rosebud Side)

2006-12-28

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主人公に固定の名前がついて、その名前をボイス付き感情入りで呼んで喘いでいるにも関わらず、なぜそこにBL同様の「本人不在」の発想が入り込まないのか。広義のNTRとならないのか。

これについては人称による感情移入が関係が深いと思います。一人称小説において「わたし」は主人公のことであり、読み手のことではありません。にもかかわらず、ぼくらは「わたし」であるところの「彼」に感情移入をするのです。「わたし≒彼」とプレイヤー感情移入関係が「本人不在」の発想を緩和する傾向があるように思えます。これは下記の疑問においても同様でしょう。

・「なぜたかだか本編中たった数回の(感情・言動レベルの)選択肢を決定するだけで『男性主人公プレイヤー』であることが自明のように論じられるのか」という違和感

すでに人称と視点により感情移入への導入が図られている以上、意思決定はつけたりといっても良いのではないでしょうか。また、コンプリート前提プレイ、あるいは複数回プレイ前提の場合は、意思決定自体が決定的に重要ではなくなります。ノベルにおける意思決定は基本的には余り大きな影響を感情移入にもたらしてはいないのではないでしょうか。

あと。

触手(注:触手モンスターによる3DダンジョンものはDOS時代に存在しているがそれとは別)という「陵辱だけのための存在」。ほぼ間違いなく?交配・妊娠しない、不毛*1な行為と、直接女性に手を下さない男性キャラの「分業体制」。

これは欲望の代行者としての触手、という位置づけが可能かもしれません。陵辱物における被虐の極致を、感情移入の対象としての主人公に直接行わせるのではなく、やや距離を置くことで、陵辱の主体としての抵抗感を除去しつつ、純粋ヒロインの被虐を「見る」ことで快楽を得る、という形ではないかと。そのような観点からすれば、主人公鬼畜な陵辱物より、触手陵辱物のほうがよりマイルドである、といえるのではないかと思います。