BLUE ON BLUE(Rosebud Side)

2006-12-30

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http://rosebud.g.hatena.ne.jp/cogni/20061228/p1

最初に結論。「一人称主人公への特定的感情移入のためのメソッドである」。

三人称においては主人公立場にあるキャラクターの描写は強くなる傾向があり、それがそのキャラクターへの特定的感情移入の補助線として機能するでしょう。群像劇においてはまた話は異なりますが、そこまでいくと主人公感情移入するという問題定義自体が消失するので問題はないと思います。

女性主人公云々については「女性には感情移入できないのか」という質問を返したいところです。というか、女性にもおおむね問題なく感情移入できるでしょう。

そも、感情移入自体は人間のみならず動物無機物に対しても開かれた広い感情なので、人称ごときで出来たり出来なかったりするものではあるまいと。一人称は「わたし≒彼(あるいは彼女)」への特定的感情移入の補助線です。ぼくらがりゅうのすけのような無色に近いキャラから黒須太一衛宮士郎、あるいは比良坂初音のような異様なキャラクターまで、幅広い主人公感情移入できるのは、人間本来の感情移入能力の幅広さによるものでありますが、それに「特定的感情移入」を誘うのは一人称である、という感じでしょうか。こじつけくさいですね。

えと。ついでに書いておきますが「感情移入困難なキャラクターを「わたし≒彼」に設定する」ということもままあります。あるいは不慮の事故でそういうことが起こります。そうした場合は「わたし」と「彼」の間に強い乖離が生じ、主人公痛烈にDisる現象が起きたり、主人公を突き放した視線で見つめることとなります。たぶん。