BLUE ON BLUE(Rosebud Side)

2007-04-19

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コードギアスについて面白い批評が読みたいとcogniさんが書いてたのにインスパイアされて、多分面白くないけど、所感をメモしておく。

ナナリーが幸せに暮らせる世界を作る、ということと、ギアスの力を用いて世界を革命する、ということは、実際のところ全然違うベクトルにある。ナナリーは確かにブリタニアというシステム犠牲者であるのだけど、現在をそれなりに幸せに生きている。ブリタニアというシステム破壊やそれへの復讐は、ナナリーの幸せとは結びつきにくい、むしろ場合によってはその幸せ破壊しかねないものである、といえる。しかしルルーシュがそれを省みることはほとんどない。

大体「○○のために」などという題目が真にその対象のためであることなどほとんどない。それは基本的に自分のため、あるいは自分がそうであろうと心に抱く対象のイメージ――すなわち他我のためであるといえる。対象がそれによって益を得るか、などというのは、基本的に「暗闇への跳躍」の向こう側にある。さらにいえば、自分のため、ということさえあやふやだったりする。欲望というものの全体像を明確に認識することは困難で、常にある種のバイアスのかかった視座からその断面をみて「大体こんなもんだろう」ということしかできない。超越的な欲望も明瞭な関係性もそこには存在していないのだ。そうした困難といかにして向き合い、制御するか、という便宜性の問題が、常に生には付きまとっている。

ルルーシュはそうした問題の内側に立ち止まっている存在だと思う。ギアスという強い力を手に入れたため、自らの欲望を見下ろす視座が急速に変化し「真の欲望に気づいてしまった」と思い込んでいるに過ぎない。この力を使ってナナリーを(自分が思いこんでいるような形で)幸せにしてみせる、ブリタニアをぶっ壊してみせる――そうした欲望は、C.C.との出会いによって初めてそこに存在することを許されたものに過ぎないのに、それがあらかじめそこにあったものであるかのように錯覚し、行動してしまう。それが果たして、自己の欲望の適切な現出方法であるか、あるいは他者にとって本当に有益なことであるのか、そうしたことに思いをはせることは余りない。そこにこの物語の悲劇の根幹がある。

で、ここはギャルゲーについて語る場なので、ギャルゲーに敷衍する。恋愛関係においても、こうした錯誤とディスコミュニケーションの体系というのは存在している。その困難を乗り越えることにより、真に対幻想的な関係を構築できるかどうか、というのは、結構古典的でありながら、等閑にされてきたテーマであるように思える。というわけで、少しこっちの方面について考えることにしてみたい。

追記

ルルーシュはナナリーのことが全然理解できてないと思う。一度聞いてみればいいと思うよ。「ブリタニアをぶっ潰してお前が幸せな世界を作ろうと思ってるんだけど、どう思う?」って。ナナリーは首を横に振ると思うね。今がそれなりに幸せだって。お兄様にそんなことさせたくないって。で、今頃ようやくルルーシュはそれに気づいてるんだけど、時すでに遅し、帰還不可能点を越えてしまった。ので、もう前に進むしかないという按配。もうね。これだから厨は。という話でもあり。

でもまあ、問題が問題として現出していて、その失敗者の破滅への疾走をうまく描き出している、という点においては評価できる。つか、意図的にそういう話を書いている。この点「デスノート」とは全く違った話である証左。