博物子

美少女ゲーム年代記 (id:genesis)  

Saturday, 2013/08/31

genesis20130831

シナリオライターの誕生 : 蛭田昌人剣乃ゆきひろ高橋龍也  シナリオライターの誕生 : 蛭田昌人,剣乃ゆきひろ,高橋龍也 - 博物子 を含むブックマーク はてなブックマーク -  シナリオライターの誕生 : 蛭田昌人,剣乃ゆきひろ,高橋龍也 - 博物子

 2010年夏のC78において,theoria(d:id:then-d)から発刊された『恋愛ゲームシナリオライタ論集 30人×30説+』に寄稿したエッセイです。

http://d.hatena.ne.jp/then-d/20120618/1340112564

1. はじめに

 前座として『ONE』(tactics、1998年5月)よりも前の昔話をいたしましょう。DOS時代を代表する人物を取り上げる――というのが本稿の趣旨ですので、歴史の流れを変えた蛭田昌人剣乃ゆきひろ高橋龍也の3人について想い出を振り返りつつ申し上げてまいります。

 私がパソコンに初めて触れたのは中学生であった1985(昭和60)年なのですが、その頃はプログラミングに使っておりました。市販ソフトを買うようになるのは大学に進んでからのことになります。1991年4月にFM TOWNSを購入したのですが、当時はバブル真っ盛り。購入した電器店がソフト3本をおまけとして付けてくれることになりました。〈サイキック・ディテクティヴ〉シリーズの『Orgel』(データウエスト、1991年4月)と、〈第4のユニット〉シリーズの『MERRYGOROUND』(データウエスト、1990年12月)までは直ぐに決めたのですが、もう1つが思い当たらなかったのです。そこで薦められたのが『闘神都市』(アリスソフト、1989年12月)でした。これが《美少女ゲーム》との出逢いです。

 今ではお馴染みとなった銀色に光るレーティングののシールにしても、1993年にソフ倫による業界自主規制が行われるようになって以降に貼られるようになったものであります。そもそも《18禁》という年齢による購入制限そのものが存在していなかった、そんな時代のお話なわけですが、この頃、既にアリスソフトは大手の一角としての地位を築き上げておりました。現在の所在地である大阪の「ハニービル」が竣工したのは1991年8月のことですが、それまでの所在地は奈良県橿原市であり、その象徴ともいえるのが雑魚キャラとして頻出するハニワ。そこから誰言うとなく『西のアリス』との愛称が生まれたわけですが、そうであれば東西両横綱になぞらえるべきでしょう――というわけで便宜的に『東のelf(エルフ)』と呼ばれるようになりました。これにお好みでD.O.(ディーオー)なりフェアリーテールなりを加えて『御三家』とする呼び方もあったのですが、二強が存在感を増すと廃れてしまいましたね。

2. 蛭田昌人

 作品づくりに関して言えば、アリスとエルフは両極にありました。アリスソフトは各作品に「アリスの館」という楽屋が仕込まれていることに表象されるように、昔からスタッフの個性を前面に押し出す造りをしています。グラフィックは美少女ゲームの本質とも言える要素ですから、誰が原画を描いているかは看板になりやすい。他方、シナリオは控えめな位置づけが与えられていました。そんな中にあって、アリスの「とり」さんは稀有な存在であったわけです。陰を含んだ『AmbivalenZ(アンビバレンツ) 二律背反』(1994年4月)や耽美な『夢幻泡影』(1995年7月)等、他に類を見ない独特な傾向の作品を手掛けておりました。少しばかり〈腐〉臭がすることはあるものの(笑)、美少女ゲームの間口を広げるのに寄与した方でありましょう。

 対するエルフはと言うと、集団としてゲーム作り上げる総合力に秀でていた――換言すれば、クリエイターの個性が表に出てこないというのが初期の作品群に対する印象です。1990年代前半はハードウェアの性能が低かったこともあって、コンピューターの持つ能力をゲームが引き出していたかどうかもユーザーから見た重要な評価のポイント。その点、エルフのプログラム技術は秀逸であり、新しいゲームシステムを次々と繰り出してきました。

 新技術という観点からすれば、1991年6月発表の『ELLE(エル)』について触れておかなくてはなりません。最初期のADV(アドベンチャー)は〈コマンド直接入力方式〉であったところ、堀井雄二の『オホーツクに消ゆ』(1984年)が〈コマンド選択方式〉を導入して好評を博したこともあって、1980年代後半には選択方式が主流となります。そのような状況下において、当時の新しい入力デバイスである〈マウス〉をゲームに採り入れ、画面をクリックすることでゲームを進めるというシステムを実装したところに『ELLE』の先進性があります。GUIが主流の現在からしてみれば当たり前のオペレーションですが、CUI(character user interface)が基本であるMS-DOSにあっては画期的なことでありました。ただ、最初のうちこそマウスを動かして(揉んだり、さすったりする)インタラクティブ性は面白いと思えたのですが、ゲームに詰まると次に何をすれば先に進めるのかが分からなくなりがちになるという欠点がありました。

 技術の高度化ということでしたら、1991年8月発表の戦闘シミュレーション『SHANGRLIA(シャングリラ)』も忘れがたいところです。マップを攻略する毎に各ユニットを率いる女性将校の脱衣CGが見られるというゲームシステムなのですが、その画像というのが縦2画面(640×800)の連続スクロールでありました。今日であれば、ブラウザーを立ち上げてウェブサイトを閲覧していると縦方向の画面移動は当然のように生じますから、一体それのどこがすごいのかが伝わりにくいところであります。当時としては、縦長の巨大なグラフィック(具体的にはキャラクターが身体を屈めたりせずに直律している構図)は大変に斬新に写ったものです。

 こうして振り返ってみますと、1990年代の前半においてエルフは技術革新の牽引役であったわけです。そして、エルフにおいて中心的な役割を果たした人物が蛭田昌人でありました。ただ、後述するように美少女ゲームの制作スタッフが個人として認識されるに至るのは後代になってからのことであり、プロデューサーが表に出てくるようなことはありませんでした。なんか、エルフのゲームに出てくる主人公って、いつもナンパ野郎なすけこましだよね――というくらいの認識に留まります。

 1989年に設立され、90年からは毎年4本のペースで作品を発表していたエルフが、1992年12月に発表したのが名作『同級生』です。この作品の歴史的な意義としては、大きく2点を挙げることができます。

 まず第一の点は、ゲームシステムに「時間」の概念が採り入れられたということです。『同級生』のコンセプトは夏休みの間に女の子をナンパしよう!というものです。ゲーム中の時間軸は8月10日から同月31日までに置かれており、この21日間をどれだけ効率的に利用できるか?というのがゲーム進行の特質となっています。『同級生』では、ある行動をとる(=選択肢を選ぶ)ことにより時間が進行しますが、このようなゲーム設計は画期的なことでした。歴史を遡りますと、コマンド直接入力方式の時代には「行動を決める(入力すべきコマンドを考える)過程こそがADVの醍醐味である」という主張も聞かれたものなのです。コマンド選択方式にしても、当初、直接入力方式の代替であると捉えられていたわけです。そのような発想に立つと、プレイヤーが行動選択のために試行錯誤している場面は〈一時停止〉の状態とすべきものであって、ゲーム内時間を進めるのは不適切という理解が生まれます。こうした暗黙の了解を脱した作品として『同級生』を捉えることができるわけです。このような自由な発想が得られたのは、プレイヤーキャラクターを用いての行動選択画面がRPG(ロープレイング)を模したものであったことが背景にあったであろうことは想像に難くありません。

 第二の点は、シナリオの複線化が行われたということです。それまでにも複数ヒロイン制は随所でみられたものですが、それらはADVの基本様式である一つのルート上にシナリオが直列に置かれているに過ぎませんでした。そこにSLG(シミュレーション)の要素を持ち込んだのが『同級生』の功績です。ナンパが目的である『同級生』ではゲームの攻略目標が〈どれだけ多くのヒロインと仲良くなれたか?〉に置かれました。そこで導入されたのが、SLGの手法です。『同級生』発表の前年に世に出た『プリンセスメーカー』(GAINAX、1991年5月)により、育成SLGというジャンルが誕生しておりました。『プリメ』が提示した着想は直ぐさま『卒業~Graduation~』(JHV、1992年6月)に応用され、発展を遂げます。『同級生』では総勢14名のヒロインが登場しており、ゲームの進め方によって結末が変化しますが、これはSLGから持ち込まれたパラメーター管理の手法が無ければ実現できなかったものです。

 このようにして、それまで別個に発展してきたADVとSLGRPGは『同級生』において一つのものとして融合しました。この一事を以て、プロデューサーとしての蛭田昌人の名は讃えられるべきものでありましょう。

3. 剣乃ゆきひろ

 1993年に発売された美少女ゲームは約200本で、様々なラインナップが揃いました。真正面から〈恋愛シミュレーション〉に取り組んだ作品としては『きゃんきゃんバニーエクストラ』(カクテルソフト、1993年7月)が挙げられるのですが、多様性に富んでいた一年であったという印象が強いところです。9801というプラットフォームにてアニメ表現に挑戦した『VIPER』シリーズ(ソニア、1993年6月~)、ファミレス制服格闘脱衣ゲームとして至高の存在たる『V.G.~ヴァリアブル・ジオ~』(戯画、1993年7月)、が登場したのがこの年。広義においてAVGに属する作品群にしても、実用性を重視してHシーンだけで構成された『あゆみちゃん物語』(アリスソフト、1993年9月)が登場しています。これは、シナリオが長大化する傾向にあった時代への反動として必然であったと言えましょう。《エロゲー》に対して何を求めるのかをめぐる対立関係は、後にシナリオ重視の〈純愛系〉と実用性重視の〈陵辱系〉とが分離していく際の牽引力となります。

 このような時代背景の下に旗揚げしたソフトハウスが、シーズウェア(C's ware)でした。すなわち、ゲームシステムの設計に趣向を凝らすことが名作となる条件ともいえた時代において、シンプルな造りの『禁断の血族』(1993年11月)という作品を提示したのです。洋館に住まう姉妹が淫靡な振る舞いにふけるというストーリーであり、濃密なエロ描写が話題となりました。《メイドさんもの》が美少女ゲームにおけるジャンルとして確立するには、ヴィクトリア朝に範を採った『殻の中の小鳥』(BLACK PACKAGE、1996年2月)ならびに『雛鳥の囀』(1997年3月、STUDiO B-ROOM)を待つ必要があります。が、「いぢめられっ娘」としてのメイドさんイメージを形成するにあたって『禁血』が大きく寄与したことは、記憶に留められるべきものでありましょう。

 シーズウェアは、続く『悦楽の学園』(1994年2月)においても隔離社会を舞台とした作品を提示します。これとほぼ時を同じくして、シルキーズ(Silky's)が『河原崎家の一族』(1993年12月)や『野々村病院の人々』(1994年6月)を発表します(今でこそシルキーズはエルフの関連ブランドであると知られていますが、当時は系列不明なソフトハウスでした)。RPG要素の強い大作である『Rance IV 教団の遺産』(アリスソフト、1993年12月)それに『ドラゴンナイト4』(エルフ、1994年2月)というが「明るいエッチ」を描いていたのと同時期に、インモラルな世界を描いた佳作も続いていたというわけです。

 ところがシーズウェアの第3作目『DESIRE』(1994年7月)は、前2作とは趣を異にするものでありました。この作品では〈マルチサイトシステム〉が導入されており、研究施設「デザイア」を訪問した記者アルバート、それに、デザイアに勤務する技術主任マコトの視点によって物語が紡がれていきます。両者の視点を切り替えることにより、1つの時間軸において発生した事象に対して複数の解釈が発生するわけです。これにより叙述の客観性は失われ、読者とっては何が真実であるのかが不明な状態に置かれます。アルバートとマコトの物語は謎を残したまま終了するのですが、プレイヤーに対しては最後に〈第3の視点人物〉による述懐が提示され、解決が与えられます。コンピューターにおけるADVゲームの長所として、紙にはできない進行管理が可能となることが挙げられます。『DESIRE』のマルチサイトシステムは、ADVゲームならではの利点を本格的に活かした作品として評価することができます。

 ただ、記憶に残るという観点から言えば、螺旋に囚われた少女ティーナの運命に触れずにはいられません。翌年に放映される『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明監督、1995年10月~96年3月)を巡って〈謎解き〉が繰り広げられたことは衆知のことと思いますが、美少女ゲームにおいてシナリオの解釈をめぐって議論が交わされたのは、私の知る限りでは『DESIRE』が最初です。すなわち『DESIRE』登場の意義とは、ゲームにおいて〈シナリオ〉が意識されるようになったということです。誤解を恐れずに言えば、美少女ゲームが“文学性”を獲得した瞬間であったとも言えましょう。遙か以前からゲームのビジュアル性を支えるものとしてテキストは存在していました。しかし、属人的な思索活動の営みの成果として生み出されたテキストが〈シナリオ〉という名を獲得したことによって、そこから遡って〈シナリオライター〉という存在が認識されるようになったのです。1994年の時点において美少女ゲームの歴史は12年を数えておりましたが、〈シナリオライター〉の名を冠するに相応しい最初の人物こそが「剣乃ゆきひろ」であったわけです。

 翌年、『EVE(イヴ)burst error』(シーズウェア、1995年11月)が発表され、マルチサイトシステムは洗練されたものとなります。その後、剣乃はエルフに移籍し、超大作『YU-NO この世の果てで恋を唄う少女』(1996年12月)を発表します。ただ、『YU-NO』について言えば、シナリオよりもゲームシステムの方を話題にしたくなります。A.D.M.S.(アダムス)と名付けられたオートマッピングシステムを用いて4つのシナリオを同時並列的に進行させる『YU-NO』のゲームシステムは、『同級生』が到達していた〈ADVとRPGSLGの融合〉という偉業に匹敵する程のものであったからです。

3. 高橋龍也

 『DESIRE』『burst error』『YU-NO』という作品群が美少女ゲームという環境で出現したというのは特筆すべき出来事であったと評価したいところです。ただ、剣乃三部作はADV形式のゲームを深化させた結果として生まれた1つの極北であり、その後に続くフォロアーは現れませんでした。そこで、当時の美少女ゲームの世相を掴んでおくため、周辺作品群について眺めることにしましょう。

 まず、剣乃作品とは逆方向に突っ走った例として挙げておきたいのは『リビドー7』(Libido、1994年6月)でしょうか。「オカズウェア」を自称することから明らかなように、グラフィックの実用性に注力したもの。『あゆみちゃん物語』の系譜に属しますが、ストーリーは支離滅裂でした。方向性としては同じながら、ロリ属性に向かったものとして『TEEN(ティーン)』(CUSTOM、1995年3月)もありました。ジャンルの細分化もみられるようになり、『禁忌 ~TABOO~』(SUCCUBUS、1995年3月)、『SEEK ~地下室の牝奴隷達~』(PIL、1995年3月)、『緊縛の館』(XYZ、1995年9月、)といった作品においてSM表現に取り組まれたのもこの頃です。ホラー的な要素を織り込んだ意欲作に、百貨店で人が行方不明となる謎を描いた『猟奇の檻』(1995年8月、日本PLANTECH)もありました。余談ですが、この作品に出てきたとあるエピソードのために、私は今でも牛肉が供されるとパサパサしていないかを確かめてしまいます。

 閑話休題。1994年から95年にかけての発表された作品一覧を眺めてみても、いわゆる〈恋愛シミュレーション〉に分類されるものは、あまり見当たりません。まぁ、ゲームを買う側からすれば『同級生2』(エルフ、1995年1月)さえあれば足りたと言うべきか、ライバル各社は『同級生』シリーズとは違うものを作ろうとしていたと言うべきか……。あえて1作を挙げみせようとすると、『恋姫』(Silky's、1995年5月)が思い当たります。比較的に陵辱的傾向の強かったシルキーズが、路線を変えて甘酸っぱい青春ものを作ったということで評価を受けた作品です。テキストの縦書きに取り組んでみせたというのも見どころでありました。

 そうした中にあって、独自色を打ち出そうと目論んだソフトハウスの1つがLeaf(リーフ)でした。企画を手掛けた高橋龍也は、それまで美少女ゲームにおいては見当たらなかったサイコホラーの要素をモティーフとして採り入れます。さらに、『弟切草』(チュンソフト、1992年)に倣い、グラフィックの上にレイヤー(層)として文章を重ねて表示する《ビジュアルノベル》というゲームシステムを導入します。そうして登場したのが『痕-きずあと-』(1996年7月)であり、『雫-しずく-』(1996年1月)でありました。

 結果として両作品は好評を博するわけですが、そのヒットは1996年という年で無ければ成し得なかったものでありましょう。

 まず第1に社会環境。1995年3月に発生した地下鉄サリン事件により「カルト」は否応なく現実の存在となっていました。また、1996年の第一四半期はTV版『エヴァ』の後半が放映された時期であり、精神分析への関心が高まっていた頃でもあります。

 第2に技術革新の前夜であったこと。Microsoft Windows 95 日本語版の発売(1995年11月)により、コンピューター市場は大きく変化しました。ハードウェアの面からいえば、PC-9801シリーズが有していたデファクト・スタンダードとしての地位が失われたことにより、640×400ドットで16色というグラフィック環境に留まる必要性が無くなりました。1996年も後半に入ると、プラットフォームをWin95に移すゲームが増加を始めます。Win95の普及とは、PC-9801という貧弱なアーキテクチャーを使いこなす技術力を有していなくても美少女ゲームの制作が可能な環境が整ったことである、と見ることができます。これに対し『痕』の発売は、DOS環境でプレイされることが所与の前提とされていた最後の時期に当たります。Win95の時代になると「画像は256色、音楽はCD-DA」というように技術レベルの変化を打ち出すことが一時的なトレンドとなります。それに対して『雫』と『痕』には、一種の割り切り――高橋龍也が「色あせた世界」と呼ぶ映像表現があります。ただ、制作者側にそうした企図があったにしても、トレンドが総天然色に向かっていた時に発表されたのであれば地味な作品として埋没してしまったのではないだろうか、とも思えます。

 こうして振り返ってみると、ビジュアルノベルという表現形式の成功は高橋龍也による“時代の読み”が大きく影響しています。そして、ビジュアルノベルというシステムは美少女ゲームの価値観を変容させることになります。従前、美少女ゲームにとって最もプライオリティの高い存在はグラフィックでありました。ところがリーフの提示したビジュアルノベルは、グラフィックの上にレイヤーとしてテキストを表示します。これは、形式面においてはシナリオが優位することを意味します。ゲームシステムとしての《サウンドノベル》は既に『弟切草』(チュンソフト、1992年3月)によって提示されていました。それが美少女ゲームには応用されていなかった理由というのは、グラフィックとテキストの主従関係を崩すことへの拒否感があったものと思われます。高橋龍也が残した歴史的功績の一として、美少女ゲームを構成する要素の力学を変化させてみせたことが挙げられるでしょう。

 “それまで美少女ゲームには無かったもの”という新味は、ゲームの形式面に留まらず内容面についてもみることができます。それはすなわち、物語の舞台としての《日常》を浮かび上がらせたことです。これは第2作目の段階でも垣間見られるものではありました。『痕』は、事故死した父の死の真相をめぐるミステリー要素と、夢と現実が混濁する最中に起こる猟奇的事件とがストーリーの骨格構造を成しています。しかしながら作品の冒頭、まずプレイヤーが作品に引き寄せられるのは、柏木家四姉妹との接触が生み出す生活感でしょう。長女が起こしに来て、次女の作った朝食をいただき、登校する四女と歩きながら語らい、心を閉ざす三女とすれ違う―― キャラクター達の魅力は、物語の本筋からは外れる形で挿入される外伝的位置づけのショートストーリーによっても強化されていきました。

 当時の美少女ゲーム雑誌をめくってみると、発売当時、『雫』も『痕』も雑誌媒体では殆ど話題に取り上げられていなかったことが分かります。しかしながら『痕』は、パソコン通信を通じてクチコミで人気を得ていきました(私の周囲では、まず『痕』が話題となり、そこから遡って前作『雫』についても見出されたという順序で広まっていきました)。そのようにしてリーフというソフトハウスは、短期間の内に動向が注目される存在となりました。しかしここで高橋龍也は、第3作目の制作に当たって「リーフ」を構成するイメージが「毒電波」や「伝奇」といった《非日常》路線で固定することを危惧しました。そこで『To Heart』(1997年5月)は、学園を舞台とした恋愛ストーリーとして制作されることになります。

 青春ものとしては『同級生』シリーズという金字塔がありましたけれども、その基本骨格は事件(イベント)の組み合わせです。それとの比較で言えば『トゥハート』の本領は、幕間(インターミッション)にあります。つまり、彼女達と共に過ごす時間そのものが楽しい、というような空間がゲームの中に出現したのです。これは、美少女ゲームにおけるシナリオの役割を変化させる革新的な出来事でありました。シナリオライターを現出させたのが剣乃ゆきひろであるのに対し、シナリオに今日的役割を付与した立役者こそが高橋龍也(と青村早紀)であるわけです。

 このような遍歴を辿った結果《シナリオライター》という役柄が生まれ、ノベルタイプの美少女ゲームにあっては特に重要な位置づけに置かれることになりました。では、『To Heart』の後、今日までの13年間においてどのような表現が試みられてきたのか。シナリオライター達の業績をご披露いただきましょう。

Sunday, 2009/03/01

消えた『美少女ゲームの臨界点 消えた『美少女ゲームの臨界点』 - 博物子 を含むブックマーク はてなブックマーク -  消えた『美少女ゲームの臨界点』 - 博物子

genesisさんが編集されましたキーワード

美少女ゲームの臨界点」が削除予定キーワードに移動されました。

http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c8%fe%be%af%bd%f7%a5%b2%a1%bc%a5%e0%a4%ce%ce%d7%b3%a6%c5%c0?kid=125759

 削除理由は一言,「宣伝目的」とだけ添えられておりました。

 せめて,ちょっとでも調べ,考えてからにしましょうよ……。作成者が利害関係者ではないということは直ぐに分かるところですし,仮に利害関係者が編集に加わっていたとしても規約には抵触しないような文面にしてあります。

自社名、自社製品などを登録すること自体は禁止事項としていませんが、内容が明らかに自己宣伝的である場合、はてな利用規約で禁止事項としている宣伝行為に該当します

はてなキーワード作成・編集ガイドライン

 驚いたのは,書誌情報を見て宣伝だと思いこむ人がいるということ。いやはや。

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Friday, 2009/02/06

『ハーフリータ』 2000年2月

虹の旅出版」ならびに『ハーフリータ』についての覚書  「虹の旅出版」ならびに『ハーフリータ』についての覚書 - 博物子 を含むブックマーク はてなブックマーク -  「虹の旅出版」ならびに『ハーフリータ』についての覚書 - 博物子

1位の「上藤政樹氏」が55冊とずば抜けています。しかし、正直この数字が出るまで情けないことに、この作家さんの事をほとんど知りませんでした。

(中略)

虹の旅出版」という聞いたこともない出版社から半分以上出ています。彼はもともと同人作家で、同人メインでマンガを描いているらしいのですが、自分の同人誌を正式なマンガとして出版するためだけの出版社を設立し、今まで描いた同人誌などをどんどん出版しているようです。なので、「虹の旅出版」から出ている本はほぼ全て上藤政樹氏のものしかありません。同人誌を専門店で売るのではなく、自分で出版社を立ち上げ...

データで見るエロマンガ事情(全体編) - えろまんがけんきゅう

 私も上藤政樹について詳しくはありません。しかし,ここに引用した文章が,少なくとも虹の旅出版に関しては明らかな誤りに基づいて書かれたものであることを指摘できます。以下,詳述します。

 話は,昭和末期の1986(昭和61)年に遡ります。この年,松文館より『ハーフリータ(HALFLITA)』というマンガ雑誌が創刊されました。表紙はいがらしゆうを起用。連載陣には大野哲也智沢渚優ひんでんブルグみずきひとし蘭宮涼――といった面々を抱えており,1990年代に活躍した漫画家達の揺籃として少なからず寄与したと言えるでしょう。

 私見を添えておくと,『ハーフリータ』のコンセプトは,今日における『コミックエルオー(COMIC LO)』に通じるものがあったように思います。昨今では『LO』の〈意見広告〉が度々耳目を集めておりますが,自社広告にメッセージを込めるという手法は『ハーフリータ』にも見出すことができます。

 ところが,宮崎勤事件をきっかけとして,1990年前後の時期にコンテンツ産業は《厳冬期》を迎えます。『ハーフリータ』は1991(平成3)年をもって休刊しています。さらに,発行元であった松文館も1993年前後に経営主体が変わっています(つまり,ブランドとしての「松文館」は継承されているが,その人的構成は別な組織です)。このことは,以前,図版引用のために(現)松文館著作権管理担当者の方に版権の所在について問い合わせた際に確認をとっております。

 『ハーフリータ』の特徴として,読者欄等で編集長(愛称:船長)がキャラクター性を発揮していたということが挙げられるでしょう。

 その編集長(船長)氏が松文館を辞め,立ち上げた出版社こそが虹の旅出版なのです。このことは,智沢渚優『魅少女まっしゅグリル』(1994年10月,ISBN:4931343015)の「あとがき」に於いて明記されていることです。そうした経緯があるため,「虹の旅出版」から単行本を出しているのは『ハーフリータ』に縁のある作家であり,収録作品は同誌に掲載されながらも松文館からは単行本として出されなかったものが多いのです。それ故,かつては『ハーフリータ』で活躍していた作家達が新しい雑誌媒体等に活動の軸足を移すに連れ,「虹の旅出版」から刊行される本は少なくなっていきました。

 件の上藤政樹が「虹の旅出版」から単行本を上梓するのは2000年に入ってからのことあり,その経緯については私の関知しないところです。

 確かに申し上げられることは,2002年以降のデータだけを参照して「虹の旅出版上藤政樹の個人出版社として設立された」という帰結を導いているのは,史実に合致しないということです。『ハーフリータ』については旧聞に属する話ですのでご存知なくとも致し方ない話でありますけれども,誤った情報が『えろまんがけんきゅう』を標榜するサイトで開陳されるのは困るので,書き記しておきます。

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Tuesday, 2008/10/21

おたく博物館計画

パソコンゲーム保全推進会議(第2回会合)のお知らせ パソコンゲーム保全推進会議(第2回会合)のお知らせ - 博物子 を含むブックマーク はてなブックマーク - パソコンゲーム保全推進会議(第2回会合)のお知らせ - 博物子

  • とき: 2008年11月2日(日)午前10時より
  • ところ: 東京都港区生涯学習センター

 去る9月7日に多数のご参加を得て第1回目の会合を持ち活動の方向性を探ったわけですが,今回は学術研究分野の動きに焦点をあてての議論となります。

【予定されている議題】

  1. 現在のコンピュータゲームをフィールドとした学術研究の実態
  2. PCゲーム保全に関する学術研究者との協力態勢
  3. 明治大学米澤嘉博記念図書館構想》との連携

 私は直接には不参加ですけれども,第1点目についてレポートを提出する予定です。

 第2点目では,今後助言を仰ぐ必要があるであろう方々についてお名前を挙げ,アプローチ方法について検討することになると思います。

 第3点目。《おたく博物館計画》を進めておられる森川嘉一郎氏を主宰が訪問し,お話を伺ってまいりました*1。本会合では同計画の概要をお伝えするとともに*2,連携を講じることとした場合に生じる課題を明らかにしていくことになります。

f:id:genesis:20081012165916j:image

▲ 建設予定地

 興味ご関心を持たれた方は是非ご参加ください。今回の会合からの参加,今回のみの参加も歓迎いたします。何かございましたら,主宰(きつねさま)までご連絡ください。

http://www.aa.alles.or.jp/~syaran/

*1:引用画像は,森川氏がC74に出展し頒布した計画書の表紙。

*2:同計画については,既に明治大学における学内承認手続は終了しています[http://www.meiji.ac.jp/chousaka/2007jigyougaiyou.pdf]。

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Tuesday, 2008/09/16

theoria 『永遠の現在』

ONE on the contexts  ONE on the contexts - 博物子 を含むブックマーク はてなブックマーク -  ONE on the contexts - 博物子

 d:id:then-dさんの呼びかけにより製作され,2007年8月のC72にて頒布された『永遠の現在』に寄稿した文章のうち,序から中盤にかけての部分です。なお,現時点では残部が未だあるそうなので,興味ご関心をお持ちの方は問い合わせてみてください。

1

 まず最初に『E-Login』1998年8月号に掲載されたセールス・ランキングを見てみよう。これは,全国47店舗から寄せられた販売状況データをもとに作成されたものである。

1. 臭作 エルフ 1998-03-27 3,740 pt
2. WHITE ALBUM リーフ 1998-05-01 3,604
3. DiaboLiQue アリスソフト 1998-05-28 2,601
4. 王道勇者 アリスソフト 1998-04-02 2,448
5. キャッスルファンタジア studio e.go! 1998-05-22 2,108
6. ONE Tactics 1998-05-29 2,057
7. 紅い瞳のセラフ BISHOP 1998-05-02 1,581
8. アスガルド ZONE 1998-04-17 1,411
8. Natural フェアリーテール 1998-02-06 1,411
10. DAWN*SLAVE U-Me Soft 1998-05-29 1,064

 集計対象期間は同年5月7日~6月4日であるから,5月29日に発売となった『ONE』にとっては不利であることは否めない。しかし,歴史を遡って眺める目からすれば,あまりにも不遇な位置づけとして写るだろう。翌月号を見ると,すでに『ONE』は売上げランキング外である。かろうじて「読者が選ぶ期待の新作ソフト」の欄に名前が見られるのみであるが,それにしても6位止まり。

 なお,翌月号の1位は4,335ポイントを獲得した『下級生』(エルフ,1998年6月26日発売)である。1998年を代表する大作『WHITE ALBUM』と『下級生』の狭間にあって買い控えが起こっていたにしても,同時期発売の作品との比較で見ても売れていないことの説明にはなるまい。

 より詳細なデータを求めて『月刊デジタルメディア・インサイダー』(ギャガ・コミュニケーションズ刊)を参照してみよう。この資料は,当該時期において最も信頼に足るデータを提供している。それによれば,1998年5月に5,670本が売れたと計上されている*1。推計によると,『ONE』の出荷本数は初回版が約9,000本,通常版が約6,500本であるとみなされている*2。1998年の年間売上げ本数は,『臭作』が約9万4千本,『WHITE ALBUM』が約6万5千本,『下級生』が約5万4千本であると言われているから,上位作品との比で市場規模を考えると凡そ十倍の開きがあったことになる。

 続いて,美少女ゲーム雑誌としては老舗にあたる『パソコンパラダイス』を開いてみる。発売前月にあたる1998年5月号では62作品中39番目での登場という下位の位置づけであるが,何にも増してページの最上部に添えられた一文が目を引く。

「ちょっと…恐いかも」

さらに〈いたる絵〉に添えられたキャプションは

「表裏があったり盲目だったり失語症だったり自閉症だったり,女のコはみんな個性の塊?」

だ。およそ購買意欲を掻き立てるには程遠い紹介のされ方である。販売戦略に関しては販売元であるtacticsにも帰責するところであって,この号には広告掲載があるけれども,肝心の翌6月号には見当たらない。

 しかし,秋風碧氏の呼びかけにより実施された「1998年ベスト恋愛ゲーム投票」では,第4位(15票)につけた『Natural ~身も心も~』(同年2月,フェアリーテール)はおろか,『WHITE ALBUM』すら第2位(45票)に退け,『ONE』が圧倒的な支持(65票)を集めて第1位につけるという快挙を成し遂げている。なるほど,これは『ONE』のテクストが高く評価されたことの表れであろう。

 しかし,本稿では作品の内側へと立ち入ることを遠慮して,コンテクスト上の『ONE』を思い起こしてみようと思う。

2 

 『美少女ソフト全カタログ '90‐'97』*3という文献がある。後に編まれた『美少女ゲーム歴史大全』*4の方が広い期間(1982年~2000年)を扱っていて網羅的であるし,解説がコラム風に仕立てられていて読み物としては上なのだが,カラーページの割合が少なく掲載写真は限定的である。対して『全カタログ』の方は添えられた文章は簡素であるものの,凡庸な作品に対しても分け隔て無く画面写真をカラーで載せているし,価格・発売機種・媒体などDOS時代ならではの情報がまとめられている。

 いずれも美少女ゲーム史を整理しようと試みた史料として有用であるが,編集方針の違いに着目して眺めてみると,当時の状況を偲ぶことができる。

 『全カタログ』については先に《'95年度版》*5が刊行されており,こちらでは846本のソフトが収められている。それが《'97年版》になると1,026本に膨れあがったため,上下巻の分冊になっている。さて,あなたが編集者であったならば,どのようにして二分割するだろうか?

 本書の場合,ブランド名の順にページ構成をしているのにも関わらず,事典のように五十音で区切ることをしなかった。上巻も下巻も「アーヴォリオ」の作品から始まるのである。ではどうしているのかというと,その性質をもって分類をしているのだ。

  • 上巻(512本): AVG
  • 下巻(514本): RPGSLG,テーブル&カード,クイズ&パズル,アクション,データ集

かかる区分法によって,均等な配分を得ている。ちなみに,リーフの『雫』『痕』はAVG編へ収載されている。

 パソコンゲームをAVGRPGSLGという性格でもって分類することは,その黎明期にあっては自然な思考であった。例えばパソコン通信PC-VAN」のパソコンゲームSIGは,1994年の改組時にボードを上記の3つに分けている。端的な例を挙げていくと,『オホーツクに消ゆ』みたいに謎解き要素を含むものはAVG,『ドラクエ』や『ウィザードリィ』みたいにキャラクターを操るのがRPG,『信長の野望』『大戦略』みたいに数値を操作するのがSLGであるという認識があった。美少女ゲームにしても,見せ場に出てくるグラフィックの質が異なるという差異はあるが,1980年代にあってはAVGRPGSLGになぞらえたゲーム構造を持っていた。

 1982年に発生し四半世紀を経るに至った美少女ゲームが,その構造において変革を遂げたことは3回ある。

 まず第1が『プリンセスメーカー』(1991年5月,GAINAX)であるが,これによりキャラクターを数値情報でもって捉える手法が編み出された。子育てSLGという体裁を装っていた『プリメ』は美少女ゲームの持つ欲望を去勢していたものの,その虚飾は『卒業~Graduation~』(1992年6月,JHV)によって剥ぎ取られ,ここに〈恋愛シミュレーション〉が成立する。このフォーマットは『ときめきメモリアル』(1994年5月,コナミ)によって完成度が高められ,〈ギャルゲー〉の型として普及していくこととなる。なお,数値化という手法の先に現れたのが,SM調教シミュレーションである『SEEK ~地下室の牝奴隷達~』(1995年3月)であり,メイドさん育成調教シミュレーションたる『殻の中の小鳥』(1996年,BLACK PACKAGE)&『雛鳥の囀』(1997年,STUDiO B-ROOM)である。

 第2の変革は,『同級生』(1992年12月,elf)によって成された。端的に表現すれば,「AVG系とSLG系という2つの流れが,RPG型のゲームシステム上で融合した」のである。当時を述懐して,馬場隆博ビジュアルアーツ代表取締役)は次のように言う。

 それまでのエロゲーといえば,移動先である「場所」に,キャラクターやそのセリフ,そして主人公のモノローグなどいわゆる「シーン」がくっついている構造をしていました。この「シーン」をひとつひとつクリアしてゆくことこそが,ゲーム部分の本質になっていました。しかし『同級生』では,この「場所」を中心としたシーン構成から,なんとキャラクター,つまり「ゲーム内の登場人物」にセリフや主人公のモノローグをくっつけたシーン構成になっていたのです。(中略)

 この作品が発表された瞬間から,あちこちと移動を繰り返し,エンディングを目指していくというそれまでの「ゲーム」は,それぞれの物語を何度も楽しめ,バーチャルな恋愛や感動できる人生をリアルに,そして感情豊かに疑似体験できるという「なにか」へと変革を遂げたわけです。

『PC Angel』2002年10月号64‐65頁より引用 

これにより,従来シーケンシャルであることを余儀なくされていたゲーム進行は,格段に自由度を得ることになる。

 そして第3の変革が,いわゆる〈ビジュアルノベル〉の登場である。先ほど『美少女ソフト全カタログ』を引き合いに出したところであるが,そこで見られたようなAVGRPGSLGという分類手法を無効化するほどの影響力を与えたのである。

3 

 ビジュアルノベルという手法を美少女ゲームに取り込んだことがリーフ三部作の功績である――というのは衆目の一致するところであろう。すなわち,『かまいたちの夜』(1994年11月,チュンソフト)によって考案された,プレイヤーを文章と音楽によって構成される物語世界へと引き込む手法の適用である。

 ミステリーやSFの要素を加えることでシナリオを構成することにかけては,剣乃ゆきひろ菅野ひろゆき)が先んじていた。『DESIRE ~背徳の螺旋~』(1994年7月,シーズウェア),『EVE burst error』(1995年11月,シーズウェア),『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』(1996年12月,elf)の三部作が金字塔であるが,ゲームシステムを組み立てることから剣乃の作業が始まっていたことに留意しなければならない。

 1996年は,前年11月に発売されたWindows95が普及を遂げた年である。1996年12月,アリスソフトは『鬼畜王ランス』をWin専用CD-ROMで提供しており,潮目の大きな変化であった。換言すれば,1996年はPC-9801(のVM仕様)を極限まで使いこなすことができる技術水準にまで到達していた時期でもあった。大手ソフトハウスが大作を出す傾向が強かった頃であり,エルフの『下級生』(同年6月)はフロッピィディスク17枚組,アニメーションで知られるソニアの『VIPER-CTR ~あすか~』(1997年1月)に至ってはFD40枚組。陵辱ものでも,スタジオメビウス『悪夢 ~青い果実の散花~』(1996年4月)は修学旅行中の女子生徒22名を拉致するまでに人数が膨れあがる。また,フェアリーテールはコスプレ要素をいち早く取り込んで『Pia☆キャロットへようこそ!!』(1996年7月)を製作しており,ポップな恋愛路線を手堅く抑えている。

 このようなDOS時代の爛熟期にあって,『雫』(1996年1月)ならびに『痕』(1996年7月)はオカルト的要素を織り込むことにより,独特のポジションを得るに至った。だが,高橋龍也水無月徹のコンビは,第3作目で“あえて”別路線を選択し,学園を舞台にした恋愛もの『To Heart』(1997年5月)を発表した。

 プロデュースした高橋の発言を追うと,かなり策略的に作品を組み立てていたことが伺える。2000年5月に公開されたTINAMIXインタビューでは,製作にあたって何を意識したかを問われたのに対し,次のような返答を返している。

 やはり会社を大きくして、体力をつけていかなくては、という切実な思いがありまして。それよりもいま『To Heart』をやっておかなきゃと思ったんです。この頃ファンタジーをやってたら、いまのようなメーカーじゃなくて、よりマイナーな層に支持されつつも、小さいビルのままの会社だったと思います。

http://www.tinami.com/x/interview/04/page5.html

 そのような製作態度で臨んだが故に,次作は前三作と趣を異にする『WHITE ALBUM』(1998年5月)だったのである。シナリオは原田宇陀児,原画はら~・YOU(カワタヒサシ)。高橋と水無月は『WA』にあっては一歩退いた立場での関与であるため,リーフの手になる正統なビジュアルノベルとしては認識されていない。

 その後,リーフは『こみっくパーティ』(1999年5月),『まじかるアンティーク』(2000年4月)と別路線を歩んでから,ノベル形式の『誰彼(たそがれ)』(2001年2月)をリリース。その間にみられる高橋の活動は,1999年4月から放映されたアニメ版『トゥハート』の監修であったりPlayStationへの移植作業であったりして表に出てこないものであり,高橋&水無月に対する渇望が続く状況に陥っていた。だが,その直後の2001年2月に暴露された通称「552文書」において,原田に加え高橋と水無月までもが退社していたことが明るみになったことから,リーフの原理主義的支持層は瓦解する。補足的に述べておくと,匿名掲示板「2ちゃんねる」は1999年5月に運営が始まっているが,この時期にはおたくネットワーク社会の動向を左右するに足りるだけの影響力を有するに至っていた。

 ファンダムの動向から見ると,『ときメモ』により芽吹いたギャルゲー系同人誌市場が,次なる対象を欲していた時期に現れたのが『To Heart』であった。経験的に言ってジャンルの賞味期限は長くても2年程度であり,大衆としての興味は次々に変化していく。そのコンテクストにおいて言えば,「高橋&水無月のリーフ」が長期間にわたって新たなコンテンツの提供をしなかったことは,二次創作市場において致命的であった。その間隙に対して絶妙な送り込みを行い,『To Heart』の後任としての地位を得るに至ったのが『Kanon』(1999年6月)だったのである*6。その後,このバトンはKeyというブランドへの支持を介して『AIR』(2000年9月)へと渡ってから,ビジュアルノベル形式というフレームワークを踏襲した同人作品TYPE-MOON月姫』の発見(2000年の冬コミ後に爆発的な波及が起こる)へと繋がり,同様の言及効果を巻き起こすことに成功した07th Expansionひぐらしのなく頃に』(2004年秋より話題を呼ぶ)へと引き継がれていくことになる。

4 

 それでは『ONE』は,どのようなコンテクストに置かれるのか。

 後続群との関係で言えば『Kanon』が評価されるための素地を用意した,ということに尽きる。きつねさま氏とワンド氏によって収集されたBLISTによれば,1999年だけで470本近い数の作品がリリースされている*7。次のトレンドとなり得る候補は,多数用意されていたわけである。『To Heart』が醸成したものの一つに,学園を舞台とした恋愛ドラマという筋立てがある。そしてもう一つ重要なものとして,女の子たちとの心地よいコミュニケーションを育む〈仲良し空間〉という構造がある。先にも挙げたTINAMIXインタビューにおいて,高橋は次のように言う。

 たとえばあかりと恋人同士になったからといって、他との関係が終わるわけじゃないんですよ。あかりを選んだから志保はいなくなった、にはならないんです。『White Album』はそういう決断をしなければいけなかったんですけど、『To Heart』ではそういうつらい選択は抜きなんです、あえて触れてないんです。

http://www.tinami.com/x/interview/04/page5.html 

 リーフは『WHITE ALBUM』で〈仲良し空間〉を崩し,新たなテーマを提示してみせようとした。その企図は達成されたわけであるが,受け手の支持を得られたわけではなかった。おたくコミュニティが総体として望んだのは〈仲良し空間〉の維持・継続だったのである。その意味では『ONE』というコンテンツが最も適合するものであった。さらに,『To Heart』の構成要素を分解したうえで再構築してみせたことも『ONE』の功績であろう。状況設定を説明する装置としての幼馴染みであった「神岸あかり」は長森瑞佳へ,〈仲良し空間〉を象徴する「長岡志保」は七瀬留美へと組み替えられるというパスティーシュが行われている。


(この後の文は黒歴史になりました。ボクのこと忘れてください。)

*1http://www.alles.or.jp/~syaran/marimo/doukou/9805.htm

*2http://www.alles.or.jp/~syaran/marimo/honsuu/tactics.htm

*3ISBN:4885327067〔上巻〕 ISBN:4885327075〔下巻〕 コスミックインターナショナル,1997年3月

*4ISBN:4821107171 ぶんか社,2000年9月

*5ISBN:4773007419 笠倉出版社,1995年12月

*6:周辺状況を記しておくと,『カードキャプターさくら』が1998年4月から衛星波で,翌99年4月からは地上波で放映されており,二次創作の主要な活力となった。

*7http://www.aa.alles.or.jp/~syaran/list.htm

Sunday, 2008/09/07

パソコンゲーム保全推進会議(第1回)備忘録 パソコンゲーム保全推進会議(第1回)備忘録 - 博物子 を含むブックマーク はてなブックマーク - パソコンゲーム保全推進会議(第1回)備忘録 - 博物子

 新千歳空港を07時30分に出る始発便に乗り,羽田空港を20時55分に出る最終便で帰ってきました。これが仕事ならば,やりたくない移動パターンです。開会時刻であり10時の数分前に会場到着。

 総勢12名が集まりました。まずは参集者の自己紹介となったわけですが,足を運んだ顔ぶれを分類すると次のようなパターンになりました。

  1. コンテンツ産業に関わっている人 (ゲーム関連会社あるいは流通業に勤務している方々)
  2. ハードウェア保全に取り組んでいる人 (RetroPCの高木さん,アーケードゲーム博物館計画の伊藤さんなど)
  3. データ収集に取り組んでいる人 (チラシを集めている人データベースを作っている人など)
  4. ファン活動を展開している人 (アリスソフト系ファンサイトの人など)
  5. ブロガー (d:id:winningstarさんとか,d:id:sixtysevenさんとか)

でも,交友関係を聞いてみると既にお知り合いだったという組み合わせが多くて,出自グループとしては概ね3つくらいになってしまいました。「保全活動に主体的に取り組もうとするメンバーって,結局この程度の人数ですよね~」という確認にもなりました。しかしながら,活動が具体化していけば此処の場面で協力してくれる人が出てくると思いますので,まずは軌道に乗せることが大事です。

 会議は全体で2時間でしたが,うち1時間ほどかけて活動方針のアイデア出しを。皆さん実態をわきまえていらっしゃるようで,「○○という方策は思いつくが,これは費用が……」「××はアプローチしてみたことがあるけれども,ダメでした」と,夢を見られるような話はほとんどありませんでした。

▼ アイデア出しの様子

f:id:genesis:20080907104746j:image

 ここで出てきたアイデアを方向性で整理すると,次の3つに集約できます。

  1. 事業化を模索する (自ら活動資金を捻出できる事業体を目指す)
  2. 外部資金の調達を画策する (助成を得られるような受け皿団体になる)
  3. 資金を持たないままボランティアとして活動する

 第1回会合では方向性を詰めることはせず,選択肢を表示させたところで散会いたしました。まずは情報収集すべき段階ですしね。今後1年ほどかけて,

  • 何を (収拾対象とすべきものをリストアップして)
  • どうやって (資金を調達して)
  • どのように (技術を用いて)
  • どこに (保全場所を確保するのか)

といった考慮事項につき,ロードマップを提示していこうという腹づもりです。

 この活動,メンバーは初回参加者で固定するつもりはございません。第2回以降の会合でも,興味ご関心を持たれるテーマがありましたら足をお運びください。


 さて,後日談ならぬ後時談。

 参集者そろって近くのファミレスへ移動し,昼食をいただきながら懇談。それから喫茶店へ移動して,さらに話し込みました。冷房の直撃する場所に座ったために寒くなって外に出ようと言い出したのが15時過ぎでしたから,3時間ほど会話していたことになります。

 それから,チラシ集めに精を出しておられる2人について秋葉原を2時間かけて巡回。天候が崩れ大粒の雨が降り出したので居酒屋に駆け込んだのが,開店準備中の16時50分。途中,アキバを通行中であったところをtwitter経由で補足されたd:id:Su-37さんを呼び寄せたりしながら,美味しくビールを酌み交わし,店を出たのが19時。

 結局,一部の方とは10時間に渡ってご一緒いたしました。おかげさまで,お名前とプロファイルが一致する程度には親しく言葉を交わすことができました。今回は参加のために少なからぬ出費(交通費18,400円)をしたのですが,有意義な時間を過ごせて満足した一日になりました。

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Sunday, 2008/08/10

パソコンゲーム保全推進会議(第1回会合)のお知らせ パソコンゲーム保全推進会議(第1回会合)のお知らせ - 博物子 を含むブックマーク はてなブックマーク - パソコンゲーム保全推進会議(第1回会合)のお知らせ - 博物子

 http://rosebud.g.hatena.ne.jp/genesis/20080725 にてお知らせした検討会の立ち上げ会合が下記の通り開催されることになりました。

  • とき 2008年9月7日(日)午前10時より正午まで
  • ところ 東京都港区生涯学習センター(ばるーん)202学習室

内容: 事業規模説明,PCゲーム保全主体・手法に関するワークショップ形式の意見交換(今後の方向性検討),連想構造分析アンケート

 詳細につきましては,発起人でありますきつねさまからの告知をご覧ください。

 会場の定員は17名と聞いています。多くの方においでいただいた場合には会場が手狭となってご不便をおかけするかもしれません。告知では事前の参加表明を求めてはおりませんけれども,予めご一報くだされば幸いです。


追記:

 航空券の手配が出来ましたので,私も参加するつもりです。

 せっかくの機会ですので,昼下がりの時間帯に茶話会など催したいと思います。午後のオプショナル・ツアーについては別途ご案内致しますので,まずは午前中のワークショップについて,参加の意向をきつねさまへとお伝えください。

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Friday, 2008/07/25

20世紀の美少女ゲームを恒久保存するためのNPO設立に向けて  20世紀の美少女ゲームを恒久保存するためのNPO設立に向けて - 博物子 を含むブックマーク はてなブックマーク -  20世紀の美少女ゲームを恒久保存するためのNPO設立に向けて - 博物子

 1970年代から90年代にかけて発表されたパソコンゲームを記録として留め,散逸しつつある史料を集積して後世に伝えるべく,特定非営利法人を設立して受け皿とし,保全活動に取り組むことはできないだろうか――というご提案をきつねさまより賜りました。

 この先の議論を踏まえて組織形態を模索することになるでしょうが,誠意協力しようと考えているところです(資金面では心許ないですが,智恵と労力でしたら可能な限り)。

 以下,設立準備に向けた呼びかけ文を引用します。

 現在の80年代パソコンゲームは、愛好家が個人で所有している形になっておりますが、私も含めて高齢化が進んでおり、恐らくあと10年なり20年なり経過した折には、世にはパソコンゲーム黎明期の状況を知るなにものも残存していないのではないかと切実に思ったからです。

 わたしたちの息子なり孫なりが、ゲーム発展史を構築していく責務を社会からようやく得たとき、そこにわたしたちは何を手渡してやれるでしょうか。それが薄れかけた記憶だけということのないよう、今のわたしたちが努力する必要があるのだと思います。悲しいかな、次の世代は現在の議論には参加できない。数十年後、数百年後の今は届かない声に耳を傾けたとき、恐らくコンピュータゲームの保全は、現在急いで取り組まねばならない事業の一つだといえるのではないでしょうか。

 今でもタイトルの散逸が進んでしまった状態ですが、今ならまだ間に合います。ゲームを愛する人に少しでも耳を傾けていただけるならうれしいことです。

http://www.aa.alles.or.jp/~syaran/negiita/teian01.pdf

 未だ提案段階に過ぎませんが,近く会合を持って活動の方向性を決めようという話をしております。興味関心を持たれた方は,発起人であるきつねさまと連絡をとってみてください。

f:id:genesis:20080725222602j:image f:id:genesis:20080725213416j:image

▲ アンジェ『KISS』(1992年,PC9801版)

 今すぐに取り出せるところにあった中で最も古い作品。原画:こと氏。幸い3.5'FDDなので物理的に読み出し可能な状態にはあるのですが,磁気は大丈夫だろうか……。パッケージ裏面に記載されている記載なども貴重な史料となりつつあります。

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