博物子

美少女ゲーム年代記 (id:genesis)  

 | 

Tuesday, 2007/02/06

阿部広樹+箭本進一『超ク

『超クソゲー』における「ときメモ」の評価 『超クソゲー』における「ときメモ」の評価 - 博物子 を含むブックマーク はてなブックマーク - 『超クソゲー』における「ときメモ」の評価 - 博物子

 参考資料として,阿部広樹箭本進一『超クソゲー』(1998年4月,ISBN:4872333837)に目を通しました。

 プラットフォームはファミコンメガドライブPCエンジンセガサターンプレイステーション。パソコンゲームは取り上げていないということで,g:rosebud が主たる考察対象としている分野とはあまり重なってきません。ノミネートされているギャルゲーを拾い上げてみると,

の2つ,かな,かな。いずれも後世への影響力は皆無なので,無視しても構わないと思う。

 使えそうなところを拾っておくと,『ときめきメモリアル』発売直後における NIFTY-Serve FCGAMEM の状況を伝えていることでしょうか(86~97頁)。この節は本書の中で浮いていて,“クソゲー語り”としてではなく著者の(秀作に対する)思い入れを吐露する賛辞文になっている。本書には「国際おたく大学」としてウェブ上で発表されている文章をリファインしたものが載せられている(著者の「ABC」とは,後に引用する文の執筆者たる阿部広樹の筆名である)。

 そして,ゲームシステムの観点からみた『ときメモ』の意義につき,次のように述べる。

 このゲームの真の革新性は自覚的にか無意識的にかは不明だが,シチュエーションの独立化を完全に行ったことにある。

 ドキュメンタリーの作法には「モンタージュ理論」というものがある。それはシチュエーションの組合せによって,全く異なる意味を導き出すという方法論である。(中略)

 おでんに例えてみよう。鍋の中にはイベントという具が緩やかな規則性に支配されてぶち込まれている。

 そしてプレイヤーには串が一本手渡されている。……おでん串に刺さっている具の並びは毎回違っていることもお分かりだろう。この場合の数珠繋ぎに刺さった具がイベントであり,そのときの串の状態そのものがプレイヤーの受け取るストーリーだ。

 そしてイベントとイベントの間に横たわる断絶をプレイヤーが自らの想像力で補完することにより,没入度を増すことになる。

そして,ほとんどストーリーが存在してないにも関わらず,戦闘の緊張感によりドラマ性を持たせることで一編の物語として想像力を喚起させた『ウィザードリィ』に匹敵するものとして『ときめきメモリアル』を位置づけている。

 なお,本書は『センチメンタルグラフティ』(1998年1月,NECインターチャネル)が発売された直後に刊行されている。『チングラ』についても触れた節があるのですが,発売前に既に起こっていた関連商品の供給に疲弊している状況を書き残している点に意味があり,g:rosebud の問題関心とは絡んできません。

トラックバック - http://rosebud.g.hatena.ne.jp/genesis/20070206
 | 
access: 320345