序文――ささやかな異議申立

Rosebud Game Chronicle 1982-2006このエントリーを含むブックマーク

序文――ささやかな異議申立

序文――ささやかな異議申立

はじめに

 筆者は,これまでにも幾つかゲームに関して文章を書き残してきた。それらを一つの体系の下にまとめる必要を感じたのは,2006年8月30日になされた次の報道がきっかけである。

 PC向け美少女ゲームが,1990年代後半からメインストリームとして人気を集めてきた。

 これらのゲームには,いわゆる「ゲーム性」がほとんどないにも関わらず,「ゲーム」と呼ばれ,受け入れられている。それはなぜなのだろうか―― ゲームソフト開発者向けカンファレンス「CESAデベロッパーズカンファレンス 2006」(CEDEC)で,哲学者で批評家の東浩紀さんが分析した。

(中略)

 このタイプのゲームは,チュンソフトのサウンドノベルシリーズの影響を受け,1996年に発売されたサウンドノベル型美少女ゲーム「雫」(Leaf)の影響によって出現したジャンル。東さんは「テキスト+立ち絵形インタフェースに依存し,選択肢選択以外のプレイヤー側の自由度をほとんどもたない,シナリオ分岐形恋愛アドベンチャーゲーム」と定義し,「これをゲームと呼ぶならば,ゲームの定義は変わったと言うしかない」と語る

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0608/30/news096.html

 ここで述べられている〈ゲーム〉の話題は,以前より東が述べていることの焼き直しであり,さしたる感想も持たなかった。しかし,筆者を動かしたのは,東が翌日になって提示した「追記」であった。

 僕は「美少女ゲームゲーム性が高い(あるいは低い)」とか、「美少女ゲームからゲーム性を捉え直すべきだ(あるいは捉え直すべきではない)」とか言っているのではなく、「一方に美少女ゲームをゲームだと思っているひとが多く、他方に美少女ゲームはゲームじゃないと言っているひとが多いみたいなので、まずその状況について考えてみよう」と言っているだけです。

(中略)

 狭義の美少女ゲーム(ノベルゲーム)で恋愛アドベンチャーゲームを代表させるつもりはまったくありません。僕はゲームの専門家ではないので、PCゲームや恋愛アドベンチャーゲームの全体について語る資格も意図もありません。

 僕のゲーム観はとても狭く、おまけに変わっていて、また自分でもそれはよくわかっているので、そういうものとしてカッコに入れて読むことをお勧めします。

http://www.hirokiazuma.com/archives/000247.html

東は注意深く「狭義の」という断り書きを入れつつ〈美少女ゲーム〉という単語を用いている。しかし,これが筆者には引っかかった。カッコに入れて読むよう東は求めているが,では「広義の美少女ゲームとは何であるのか」について,東は説明をしていない。

 それならば,筆者が解き明かしてみせよう――というのが本稿を執筆した狙いである。

 実は,東が筆者の理解とは食い違った用法で〈美少女ゲーム〉という語を用いたのは,これが初めてのことではない。2004年の夏コミに,東が主宰する「波状言論」が出品した同人誌『美少女ゲームの臨界点――HajouHakagix』(ISBN:4990217705)の中で起きたことである。

 同書では,『雫-しずく-』(1996年)に始まり,『To Heart』(1997年)によって完成された様式(フォーマット)に沿う表現行為を〈美少女ゲーム運動〉と定義している。この運動は,1998年から99年にかけて急速に豊穣さを増し,『A I R』(2000年)によって臨界点(critical point)に到達した。しかし,その瓦解も急速に起こる。早くも翌2001年,『月姫』『ほしのこえ』のブレイク,『ファウスト』系の誕生などにより流れが変化。そして『CLANNAD』(2004年4月)が最後の徒花(あだばな)であった――という史観をとる。

 同書が,ある特定の時期に,美少女ゲームという領域の中の一部で発生した潮流を捉えて〈美少女ゲーム運動〉としたことに,筆者は強い違和を感じ,異義をしたためたことがある。

本稿は,東による〈美少女ゲーム〉という語の用法が,どの程度に狭いものであるのかを示すために書き綴ったものであると捉えていただいて差し支えない。弁解しておくと,東は間違ったことを言っているわけではない。しかし,東と対比されるべき言説が提出されていないために,東の発言が相対化できていない現状が問題なのである。

 結論を言おう。〈美少女ゲーム〉の始まりは,1986年にまで遡る。東が語っている〈狭義の美少女ゲーム〉は,言ってみれば[近代~ポストモダン]にしか過ぎない。それならば,筆者に課せられた役割は〈美少女ゲーム〉の古代から中世,そして近世を紡ぎだすことであろう*1

 そのうえで,そもそものきっかけとなった東の発言で提出されていた〈ゲーム性〉という事柄につき,筆者の見解を申し述べることにした。

*1:付言しておくと,東は自らの理論構築に適合するよう定義を狭めているがために,[現在]を語り得ていない。


編著 おおいしげん(id:genesis
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