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-第2期テレビアニメ版「Kanon」(京都アニメーション制作)・川澄舞シナリオにおける"世界観の穴" (07/01/16)

-美少女ゲーム/ノベルゲーム/ビジュアルノベル/恋愛ADVに関する史観例 (07/01/12)

-美少女ゲームのマルチシナリオ分類例 (06/12/31)

-美少女ゲーム/ノベルゲーム/ビジュアルノベル/恋愛ADV (06/11/14)

【pinsyan@milkyhorse.com (@は@に修正)】【記事本文は下のほうです】
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2007-01-16

第2期テレビアニメ版「Kanon」(京都アニメーション制作)・川澄舞シナリオにおける"世界観の穴" 20:44 第2期テレビアニメ版「Kanon」(京都アニメーション制作)・川澄舞シナリオにおける"世界観の穴" - milkyhorse(Rosebud Side) を含むブックマーク はてなブックマーク - 第2期テレビアニメ版「Kanon」(京都アニメーション制作)・川澄舞シナリオにおける"世界観の穴" - milkyhorse(Rosebud Side)

/* 念のため:思い切りネタバレを含んでいます */

/* 執筆意図:他の解釈を排斥するような意図は毛頭ありません */

/* 前提条件:「Kanon」の原作テキストは,制作者が意図して,文章の一意的確定を回避している */

 

原作PCゲーム版「Kanon」における"世界観の穴"~二人のシナリオライターによる見解~

 原作PCゲーム版「Kanon」では,少なくとも月宮あゆ水瀬名雪美坂栞3名のシナリオとは異なり,川澄舞シナリオについては,いわゆる月宮あゆの"夢の想念"とは関わりなく,川澄舞の身の上に"奇跡"が起こるという解釈が一般的である。制作者意思に照らしても,川澄舞シナリオ担当した麻枝准氏は「舞の奇跡には,あゆの影響がない」旨を明言している*1

 ところが,この麻枝准氏のコメントに対して,月宮あゆ水瀬名雪美坂栞3名のシナリオ担当した久弥直樹氏は「それでいいと思うんですよ」という絶妙のコメントを寄せており*2川澄舞の身の上に起きた"奇跡"の源泉については,読者の想像力に委ねる姿勢を崩さなかった。これはすなわち,月宮あゆの"夢の想念"が及んでいるとみる余地を,川澄舞の身の上に起こった"奇跡"についても残そうとしているところに,久弥直樹氏の意図があったということを意味する。

 こうした一連の言辞は,「Kanon」における奇跡の取り扱いを巡って,麻枝准氏が(日常の中にある)非日常的な状態としての"奇跡"という一意性を志向したのに対して,久弥直樹氏はあらゆる"奇跡"が区別されてはならないことを企図していたという証左であり,"同一作品内における競作性"ともいうべき外連味のなさの現われの一つでもある。

 言ってみると『Kanon』って、世界観に穴が開いてるじゃないですか。

 どうやっても、どうしようもない穴が開いていると。

 でも、その穴があまりにも美しい穴なんですよ。

 それで愕然としたんです。

 この穴は偶然に開いたものなのか、それとも人為的に開けたものなのか見分けがつかない。

 もし人為的に開けたのなら、この人たちは天才集団だと思ったわけです。

(涼元悠一氏*3インタビュー-「Aria vol.1」(2001年,FOX出版)-より)

 

原作PCゲーム版「Kanon」における川澄舞シナリオ~意図的な説明不足と身体的感覚~

 もっとも,原作PCゲーム版「Kanon」では,いわゆる川澄舞の「切腹」発生後に繰り広げられる心象風景ないし幻想世界ともいうべき描写は,「Kanon」の原作シナリオ中で最も難解なテキストと目されている。麻枝准氏はこのシーンに約1万7000字にも及ぶ膨大な情報量を割り当てているのだが,その中では人称や時制が頻繁に切り替わっており,台詞と地の文がシームレスになったり,事実推測と夢・妄想の混在が窺われるなど大変な叙情性に満ち溢れている一方で,その描写中における事実関係については,因果性や相関性を特定することが容易ではなく,確実にいえることは牽連性があるということくらいに留めざるを得ないのである。

 そのため,麻枝准氏の制作者意思が判明しているにもかかわらず,月宮あゆの"夢の想念"と関わりなく川澄舞の身の上に"奇跡"―それが特に川澄舞蘇生であるとするならば―が起こっているという論拠を原作テキストから出典させることは,実はそう単純な作業ではない。たとえば,沢渡真琴シナリオエピローグにおける"春のものみの丘で眠る沢渡真琴とぴろ"の一枚画を巡る解釈と同様,川澄舞シナリオエピローグについても,歴史事実ではなく相沢祐一の心象風景ではないのかという見方が一部にあり,それはそれなりに一つの解釈として成り立っているのである(ここではこの点をこれ以上追求しない)。

…でも,そのときから,はじめることはできる。

…十年という時間は,今からでも取り戻すことができる。

…舞は今もあの日の少女のままだから。

………。

…だからよろしく。未来のまいを。

………。

…また会えれば,そのときも同じことを思うから。

…やっぱりこの人だ,って。

………。

…いい?

ああ…

…じゃあ…

…始まりには挨拶を。

誰に…

…そして約束を。

………。

……。

…。

(PCゲームKanon川澄舞シナリオより)

 この前後の描写中における事実関係を論理的に見るならば,因果性や相関性を特定することは容易ではなく,牽連性があるということくらいしかいえそうにない。

(もうすぐ,来るよ)

そう『力』が言っていた。

「くるね」

あたしは答えた。

ずっと鼓動が止まなかった。

それは長い間,待っていたから。

自分と,そして自分の力たちを,全部受け入れてくれるひとの訪れ。

それをそわそわと,待ちわびていた。

(さぁ,迎えるよ)

「うん」

あたしたちは迎える。

…邂逅の時を。

(PCゲームKanon川澄舞シナリオより)

 しかし,これを意図的な説明不足―あえて論理展開に頼らなかった表現技法―と見るならば,シナリオ中の情念が加速度的に増幅していく様子を読者に身体的感覚として受け止めさせ,その体感をもって説得に代えているわけであり,これはこれで充分成立していることになる。

「よぅ」

と俺は少女に声をかけた。

「はじめまして,かな」

「ううん,ずっと待ってたから…」

少女は胸の高鳴りを抑えるようにして言った。

「じゃ,取り戻しにいこうか」

「………」

「…今度はどこにもいかない?」

「ああ,いかない」

「俺たちはすでに出会っていて,そして,約束をしたんだからな」

「ずっと,舞のそばに居るよ」

「…うん」

(PCゲームKanon川澄舞シナリオより)

 

第2期テレビアニメ版「Kanon」における川澄舞シナリオⅠ~論理的に再構成された脚本

 さて,このような「Kanon原作シナリオにおける,文章の一意的確定を許さない―あらゆる物語解釈の可能性が開かれているという特色*4は,第2期テレビアニメ版「Kanon」(京都アニメーション制作)においてはどのように受継されているのだろうか。この点について,上記でも採り上げている通り,川澄舞シナリオの"川澄舞切腹と復活"のシーンを例に検討してみたい。具体的な検討対象は,第15話『かくれんぼの小奏鳴曲~sonatina~』Bパートである(シリーズ構成・脚本担当は,テレビアニメ版「AIR」と同じく志茂文彦氏)。

 【まい】「友達でいてくれるの? 舞をこわがったりしないで?」

 【祐一】「約束するよ」

(にっこりと微笑む"まい")

 【祐一】「…傷*5が,ふさがってる」

 【祐一】「キミが,助けてくれたのか…?」

(第2期TVアニメ版Kanon」(百花屋京都アニメーション)-第15話『かくれんぼの小奏鳴曲~sonatina~』-より)

 切腹した川澄舞を"魔物(まい)"の超常的な力が救命したと明確に受け取れる描写がなされたのは,「Kanon」の数多いメディアミックス展開を通じても,実は今回が初めてである*6。そして,この直後,相沢祐一と"魔物(まい)"によるやり取りは,次のように続く。

 【まい】「…きっと,今なら還れると思うから」

 【まい】「受け容れてくれると思うから…」

 【祐一】「キミは…舞の…」

 【まい】「わたしは…舞の『力』のかけら…」

 【まい】「でも…こう呼んでほしい。『希望』って…」

(第2期TVアニメ版Kanon」(百花屋京都アニメーション)-第15話『かくれんぼの小奏鳴曲~sonatina~』-より)

 こうして"魔物(まい)"は姿を消し,その直後,川澄舞は意識を回復する。一連の経過は,論理的に整合しており,描写中の三人称文体・時制も安定しているので,少なくとも因果関係推測させるには充分なものに仕上がっている。率直にいって,かなり分かりやすい。従って,第2期テレビアニメ版「Kanon」は,切腹した川澄舞を"魔物(まい)"の超常的な力が救命したという解釈の出典とするに充分な内容を含んでいるということができよう。そして,このような表現の施され方が,麻枝准氏の制作者意思に沿っていることも確かではある。

 

第2期テレビアニメ版「Kanon」における川澄舞シナリオⅡ~映像表現に見出し得る"世界観の穴"~

 それでは,第2期テレビアニメ版「Kanon」が描写する川澄舞の身の上に起こった"奇跡"とは,久弥直樹氏が企図したような月宮あゆの"夢の想念"とは,まったく無関係ということになるのだろうか。ちなみに,本稿執筆者の私見は「月宮あゆの"夢の想念"は発生しているものの,その影響の有無にかかわりなく川澄舞の"奇跡"は発生している」という立場なので,第2期テレビアニメ版「Kanon」のような描写でも特に支障があるわけではない。しかし,ここでは本稿執筆者の私見は棚上げして,第2期テレビアニメ版「Kanon」において挿入された相沢祐一の台詞に着目して,以下の通り検討を施してみたい。

 脚本的には,上記に引き続き,川澄舞が意識を回復した直後の場面である。

 【祐一】「舞…。起きろよ,舞」

 【祐一】「夢からさめる時間だぞ」

(第2期TVアニメ版Kanon」(百花屋京都アニメーション)-第15話『かくれんぼの小奏鳴曲~sonatina~』-より)

 これはPCゲーム版「Kanon」にはなかったオリジナルの台詞である。おそらくは,PCゲーム版「Kanon」の川澄舞シナリオエピローグにある「もし夢の終わりに,勇気を持って現実へと踏み出す者がいるとしたら…」という相沢祐一の独白(地の文)と対応する位置付けなのだろう。今回の第2期テレビアニメ版「Kanon」では相沢祐一の台詞に格上げされたことによって,沢渡真琴シナリオエピローグにおける相沢祐一の台詞との対照が一層際立ってくることになった。

 【祐一】「…同じ夢を見てたんだよな,俺たちは…」

 【祐一】「…そして,そこから還ってきた」

(第2期TVアニメ版Kanon」(百花屋京都アニメーション)-第10話『丘の上の鎮魂歌~requiem~』-より)

 「夢」というキーワードは,「Kanon」の世界観の中では,月宮あゆの"夢の想念"を想起させる効能がどうしてもあるといわざるを得ない。このような仕掛けを踏まえた上で,川澄舞シナリオにおける川澄舞の超常的な『力』の描かれ方を読み直してみよう。川澄舞の『力』,すなわち"魔物(まい)"の正体とは,"純粋な祈りから生まれてしまった力―『希望』"である。

 一度目は,幼少時の川澄舞が,臨終間際の母のために"純粋な祈りから生まれてしまった力―『希望』"を捧げた場面である。川澄舞の母は奇跡的な回復を遂げた。

(舞が病室のベッドで昏睡する母の手を握っている)

 【舞】「元気になって…おかあさん…」

 【舞】「お願い…」

(舞が大粒の涙をこぼしながら祈りを捧げる)

 【舞】「お願いっ…!」

(第2期TVアニメ版Kanon」(百花屋京都アニメーション)-第15話『かくれんぼの小奏鳴曲~sonatina~』-より)

 二度目は,やはり幼少時の川澄舞が,テレビ番組見世物にされたときに,傷付いた小鳥のために"純粋な祈りから生まれてしまった力―『希望』"を捧げた場面である。小鳥の傷は癒され,羽を広げて飛び立っていった。

テレビ番組で舞の『力」が見世物にされる場面

(箱の中に傷付いた小鳥が寝かされている)

 【舞】「…」

(舞が傷付いた小鳥を抱きしめ,大粒の涙をこぼす)

 【舞】「お願いっ…!」*7

(小鳥の傷が癒され,舞の両手から飛び立っていく)

(第2期TVアニメ版Kanon」(百花屋京都アニメーション)-第15話『かくれんぼの小奏鳴曲~sonatina~』-より)

 そして三度目が,いわくつきの場面。8歳の川澄舞が7歳の相沢祐一との別れのときに,"純粋な祈りから"『魔物』を"生み出してしまった"場面である。

帰省しようとする祐一に舞が電話をかける場面

 【舞】「助けてほしいのっ」

 【祐一】「助けてほしいって,何を?」

 【舞】「魔物がくるのっ」

 【祐一】「魔物?」

 【舞】「そうっ…魔物がくるんだよっ」

 【舞】「いつもの遊び場所にっ」

 【舞】「だから…ふたりで守ろうよっ」

 【祐一】「またくるから…そしたらいっしょに遊ぼう」

(ブルドーザーが麦畑を掘り起こすカットイン)

 【舞】「ほんとうにくるんだよっ…!」

(舞が大粒の涙をこぼしながら話し続ける)

 【舞】「あたしひとりじゃ守れないよっ…!」

(第2期TVアニメ版Kanon」(百花屋京都アニメーション)-第15話『かくれんぼの小奏鳴曲~sonatina~』-より)

 このように,川澄舞による超常的な『力』が"純粋な祈り"から生まれてしまう場面では,大粒の涙をこぼすという描写が繰り返されており,むしろその祈りの純粋さを"大粒の涙をこぼす"という行為に仮託しているふしすらある。ちなみに,原作PCゲーム版「Kanon」では,泣きながら祈る描写は,川澄舞の母の臨終間際の場面(つまり,一度目。下記参照)でしか言及されていない。従って,残りの二回分については,映像作品ならではのアレンジということになる(第15話の絵コンテ・演出担当は北之原孝将氏)。

あたしは椅子に座ったままだった。

座ったまま,ずっと泣いていた

でも,希望だけは捨てなかった。

悲しくても,信じていた。

また,おかあさんは元気になると。

ただひたすら祈った

元気になりますように。

また,あたしに笑いかけてくれますように。

(PCゲームKanon川澄舞シナリオより)

 ここまでの検討を経た上で,"川澄舞切腹と復活"のシーンを見直してみると,そこに巧妙なノイズ―いわゆる"世界観の穴"が仕込まれているということはできないだろうか。というのも,この場面で,大粒の涙をこぼしたのは相沢祐一の方なのである。

 【祐一】「舞…!」

(祐一が倒れこんだ舞の腹から刀を抜き取る)

 【祐一】「舞…死ぬな…。舞…。舞…!」

(祐一が舞を抱き起こす)

 【祐一】「こんな…こんなばかな…」

(舞を抱きしめてた祐一大粒の涙をこぼす)

 【まい】「…祐一

(祐一が声のした方へ目を向ける)

(第2期TVアニメ版Kanon」(百花屋京都アニメーション)-第15話『かくれんぼの小奏鳴曲~sonatina~』-より)

 一度や二度ならまだしも,わずか数分の間に四度も同じ演出が仕込まれていると,さすがに無視できなくなってくる。もしも祈りの純粋さが"大粒の涙をこぼす"という行為に仮託されているとするならば,ここで"純粋な祈り"を捧げたのは川澄舞ではなく,相沢祐一だということになる。つまり,"魔物(まい)が"改めて姿を見せたのは,相沢祐一が捧げた"純粋な祈り"に呼応したからではないかという解釈の紛れが残されているわけである(ちなみに,原作PCゲーム版でも,この場面で相沢祐一は「驚くほどの量の涙が押し出されて落ちた」と泣いているのだが,祈りのために流した涙とは即断しかねるような情報過多が仕込まれているので,第2期テレビアニメ版のそれとは同視できない)。このとき,川澄舞の身の上に起こる"奇跡"の担い手が,川澄舞から相沢祐一移転しているとまではいわないが,少なくとも相沢祐一の方に主導権ないし契機が移っている,あるいは川澄舞による超常的な『力』に相沢祐一が干渉している,という解釈が絶対的に排斥されるとまではいえないだろう。

 さらにいえば,そもそも「キミが,助けてくれたのか…?」という相沢祐一からの問いかけに対して,"魔物(まい)"は直接には何も応えなかった。無言で頷いてたというわけでもない。直接言及されなかった以上,その答えについては,やはり視聴者の想像に委ねられているのだ。

 

まとめ~PCゲーム版とは違った趣向で開かれた"世界観の穴"~第2期テレビアニメ版による受継例~

◇月明かりが差し込む夜の校舎(教室)の場面

(いわゆる川澄舞の「切腹」が発生)

 【祐一】「舞…!」

(祐一が倒れこんだ舞の腹から刀を抜き取る)

 【祐一】「舞…死ぬな…。舞…。舞…!」

(祐一が舞を抱き起こす)

 【祐一】「こんな…こんなばかな…」

(舞を抱きしめてた祐一大粒の涙をこぼす)

 【まい】「…祐一

(祐一が声のした方へ目を向ける)

◇夕日に照らされて金色に輝く麦畑へと場面転換

 【祐一】「ごめんな…遅くなって…」

 【まい】「いいの…ちゃんと来てくれたから」

 【まい】「…今度はどこにもいかない?」

 【祐一】「ああ。だって,俺たちは友達だろ?」

 【まい】「友達でいてくれるの? 舞をこわがったりしないで?」

 【祐一】「約束するよ」

("まい"がにっこりと微笑む)

 【祐一】「…傷*8が,ふさがってる」

 【祐一】「キミが,助けてくれたのか…?」

("まい"の正面姿。祐一の問いには直接応えない)

 【まい】「…きっと,今なら還れると思うから」

 【まい】「受け容れてくれると思うから…」

 【祐一】「キミは…舞の…」

 【まい】「わたしは…舞の『力』のかけら…」

 【まい】「でも…こう呼んでほしい。『希望』って…」

("まい"が祐一と舞に背を向けて,麦畑の中に走り消えていく)

 【舞】「…う」

◇夜が明け,朝日差し込む校舎(教室)へと場面転換

 【祐一】「舞…。起きろよ,舞」

 【祐一】「からさめる時間だぞ」

◇夕暮れの麦畑を走り回る幼い舞と祐一カットイン

(第2期TVアニメ版Kanon」(百花屋京都アニメーション)-第15話『かくれんぼの小奏鳴曲~sonatina~』-より)

 こうしてみると,第2期テレビアニメ版「Kanon」における川澄舞シナリオは,川澄舞と"魔物(まい)"とを対比させながら(日常の中にある)非日常的な状態としての"奇跡"を具体的かつ簡明*9に表現することに注力されている一方で,あらゆる"奇跡"が区別されてはならない―視聴者の想像力に委ねる余地を残すために,映像表現ならではの演出によって,PCゲーム版とは違った趣向で"世界観の穴"を開けることにも配慮されているように思われる。

 結局のところ,麻枝准氏によるプロットに比較的沿いつつ,それでいて久弥直樹氏による"奇跡"観を紛らせるという今回の川澄舞シナリオの構成は,原作エッセンスを抜粋しつつ,最大公約数的かつ穏健な解釈で今のところ*10進行している第2期テレビアニメ版「Kanon」ならではの,絶妙なバランス感覚による所産というべきなのだろう。(文責:ぴ)

 

 

*1:「舞と真琴は,あゆの影響ないですねぇ。その2キャラは,自らの力で奇跡を起こしているんですよ。」,麻枝准氏発言「Key Staff Interview 1 麻枝准」(2000年,エンターブレインKanonビジュアルファンブック』より。

*2:「麻枝さんは,真琴と舞の奇跡は本人が起こしているとおっしゃっていましたが」とインタビュアーに問われた久弥直樹氏は「どう捕らえてもいいところはあるんですけれど…いや,それでもいいと思うんですよ」と微妙な答え方をしている。久弥直樹氏発言「Key Staff Interview 6 久弥直樹」(2000年,エンターブレインKanonビジュアルファンブック』より。

*3:元Key所属シナリオライター。「AIR」「CLANNAD」「planetarian ~ちいさなほしのゆめ~」を担当現在はLeaf所属シナリオライター。

*4:俗に"脳内補完"や""二次創作可能性"と呼ばれるものの原理もここに求めることができるだろう。

*5川澄舞切腹による傷のことだろう。

*6ドラマCD版はPCゲーム版準拠だし,第1期TVアニメ版ではそもそも川澄舞切腹していない。

*7サイレント映像だが,おそらくは。

*8川澄舞切腹による傷のことだろう。

*9:その善し悪しについては,本稿では保留しておくが,http://rosebud.g.hatena.ne.jp/cogni/20070116/p1 などを参照されたい。

*102007年1月16日現在,第1話から第15話まで放映済みの時点である。

milkyhorsemilkyhorse2007/01/16 22:12きゃあ。ttp://legwork.g.hatena.ne.jp/keyword/Kanonへのトラックバックって、消せないんでしょうか?

genesisgenesis2007/01/18 13:38グループのメンバーであれば消去できます。お気になさらなくても良いのですが,私の方で整理しておきますね。

milkyhorsemilkyhorse2007/01/18 20:05お手数かけますが、よろしくお願いします。m(_ _)m

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