Hatena::Grouprosebud

萌え理論Rosebud このページをアンテナに追加 RSSフィード

萌え理論Rosebud

2006-11-01美少女ゲームのインタラクティブ・インターフェイス論(1)

Phase(1)「はじめに・ごあいさつ」 Phase(1)「はじめに・ごあいさつ」 - 萌え理論Rosebud を含むブックマーク

はじめに・ごあいさつ

どうもこんにちは、id:sirouto2です。萌え理論Blog(http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/)では、ここの執筆要綱で指摘されているような枠組で美少女ゲーム論を書いていたのですが、せっかくid:genesisさんにこのグループに招待して頂いたので、いつもとは違った形で論を展開しようと思います。ただ、このグループにおける参加者の位置づけがまだ分からないので、とりあえずこの日記で「美少女ゲームのインタラクティブ・インターフェイス論」を細々と書いていきたいと思います。よろしくお願いします。


東浩紀が主に表現内容の面からビジュアルノベルに注目するのに対して、表現形式の視点から美少女ゲームを取り上げ、その可能性を探るつもりです。具体的には、95~2000年頃のコンシューマ市場のギャルゲに特に焦点を絞ります。プレステやサターンの大容量媒体を生かして、画像と音声を駆使したギャルゲが可能になった時期であり、ノベルゲームというデファクトスタンダードがある程度確立した現在から振り返ると、垢抜けない印象も拭えませんが、特にコンシューマはエロを描かない(描けない)分、興味深い試行錯誤が散見されます。


例えば、『動物化するポストモダン』で言及された『YU-NO』が、データベース的だから良い、メタ的だから良い、という感じで代表的に扱われていましたが、私の見るところ、『Noel』はそれと対照的なコンセプトになっています。また『海腹川背』といった、通常のゲーム性があるギャルゲでの美少女キャラについて考察します。特に格闘ゲームなど特定のジャンルの美少女は、単にグラフィックが綺麗であればいいというだけでなく、ゲーム性に結びついていることも多いのです。


データベース×インターフェイス

こうした問題意識をさしあたって、「データベース」に対する「インタラクティブ」な「インターフェイス」の問題としておきます。「IT」以前のかつての「マルチメディア」の頃から「ゲームはインタラクティブ」といった言説はよく見かけますから、新たな概念・語句を提唱しているというより、既に流通している凡庸なテーゼを、再検討するといったところでしょう。


東なら、そのインターフェイスとは工学的なデータベースからの組合せによるシミュラークルに過ぎず、神経的主体が視聴覚刺激に反応しているだけだ、などというかもしれません。ここで聞き慣れない単語が出てきたかもしれませんが、要するにゲームは機械的でプレイヤーは動物的という位の意味です。しかし、本当にそれだけなのでしょうか。


私は、インターフェイスという形態には、データベースに還元できない剰余が宿ると考えています。そしてそれは、非ノベルゲームはもちろん、実はノベルゲームにもあると言いたい。しかも、「葉・鍵・月」が作る一部の先鋭的な作品にだけではなく、紙芝居的ノベルゲーム一般に存在する要素だと捉えているのです。どういうことでしょうか。


インタラクティブ - インターフェイス

先の『動ポモ』において、データベース的な欲望の例として「回想モード」のコンプリートが挙げられていました。確かに、エロゲはエロがあればいいからといって、ネットや書籍の攻略情報を見ながら作業的に回想シーンを埋めていく、というプレイスタイルは、時間的な問題からよくあることでしょうし、更にはかったるいからテキストスキップしてもったいないからCG・回想だけ回収するということもあります。しかし、プレイヤーがそれを積極的に求め、それだけで完全に満足しているだけだとは、とても思えません。回想モードを埋めたいから、プレイヤーは薬物依存的にゲームをするのでしょうか。


テキストを読み進め、ノベルゲームの選択肢を選ぶ過程に面白さがある、と素朴に考えてはいけないのでしょうか。例えばミステリで結末だけ見たらつまらないことでしょうが、そういう不完全な情報から文脈を補完するという楽しみは、無視できない一つの要素だと思います。しかも、ノベルゲームにおいては選択肢という形で、虚構内の現実のありえた他の可能性が顕在化していますから、リアルタイムではないけれど、原始的なインタラクティブ性があるでしょう。つまり、ノベルゲームにおける選択肢で分節された文章は、回想データベースの不完全な断片ではなく、マンガにおけるコマのように、むしろジャンルを構成する重要な形式だと捉えています。選択肢で分割することで、単なる画像音声文章の集合=データベースより、意味空間が大きくなるのです*1


議論の詳細は日記で展開しますが、美少女ゲームにおける物語文章中心主義を相対化するという見取り図を示しておきます。すなわち、ノベルゲームの「ノベル」に重心を置き、例えば『ひぐらし』のように選択肢のないノベルに、ネットのコミュニティで盛り上がるといったメタゲーム性を見ることもできますが、それに対してノベルゲームの「ゲーム」に重心を置き、例えば『ガンパレ』のように小説形式の文章のないゲームに、ノベライズも可能なメタノベル性を見ることもできます。更に言えば、ひぐらしのゲーム外のコミュニティも、結局は広い意味で選択肢(誰が犯人だとか)について考えているという風に共通して解釈することもできます。だからといって、ノベルかゲームかがもう片方に対して優越しているという主張ではありません。両者はともにノベルゲームの要素なのです。

*1:ここで、データの順列組合せと選択肢による文脈の分割は別の概念です。前者は構文論的であり、後者は意味論的・実用論的なものです

genesisgenesis2006/11/02 01:57私自身,皆様方をお呼びしたものの,どのように進めていけば建設的なものになるか確たる展望を持っているわけではありません。もがいていく中で一緒に考えていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。