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萌え理論Rosebud

2006-11-09美少女ゲームのインタラクティブ・インターフェイス論(8)(9)

Phase(9)「分岐と反復」 Phase(9)「分岐と反復」 - 萌え理論Rosebud を含むブックマーク

http://rosebud.g.hatena.ne.jp/Erlkonig/20061110/1163086423

もしもバッドエンド→グッドエンドという順番で進まずに、一度最初に戻って一から「ひと繋がりのもの」としてプレイてグッドエンドに到達したなら、こういったスポイルは発生しないでしょう。お話をブツ切りにしてバラバラにプレイできることの弊害だと思います。


鋭い指摘で、ぼんやりしていた問題の輪郭がより明確化されました。その「弊害」はこちらの枠組みでは「分岐と反復」の問題意識になります。反復構造…要するにループものの設定にすると、選択肢を設けないでも分岐を実現することができます*1。この場合は前回述べたような選択順による違いが出てきませんが、出てこないことによる効果というのもあります。


ここで待ってましたとばかりに「ひぐらしがなく頃に」のゲーム性の話が出てきます。ここで主張したいのは「ひぐらしは選択肢がないからゲームじゃない」でもなくて「ネットで盛り上がってるから(メタ)ゲームだ」でもなくて、もう少し別のことです。ひぐらしには選択肢がない代わりに章ごとに同じ構造を反復します*2。もちろん選択肢がないことには、単に労力を省いたという現実的な事情があるかもしれません。しかしそれだけでしょうか。


もしひぐらしの八章の反復を分岐に直したら、どういう風に違ってくるでしょうか。ただでさえミステリの推理可能性に対する批判があるのに、それがストーリーに留まらず、ゲームのレベルにも飛び火してくるでしょう。すなわち、どんな選択肢を選べばいいのか分かりようがないのです。ストーリーのレベルでの「ルールを推理するというルール」という法則をゲームのレベルに適用すると、「どんな選択肢を選ぶかという基準を推理する選択」を強いられることになります。


それは選択肢の設定によりますが、少し難解過ぎる気がします。ストーリーと違って試行錯誤する必要があり時間が掛かるので、プレイヤーの不満はより強くなります。作中でも「箱選び」という形で少しだけ触れられていますが、そもそも終盤までバッドエンドしかないような話だから、選択肢が選べても徒労でしょう。もっとも、今度出る「ひぐらし祭」は選択肢があるそうですから、そのような難問を踏まえた上で、ゲームとして成立させる必要があるわけで、期待するところです。


分岐の反復への書き下しは、構成・演出にも関係してきます。「皆殺し編」の内容は後で出す必要があるとか、「目明し編」より「綿流し編」が先に出るようにするとか、そういう物語上の順番があります。また、文章が段々上手くなり、立ち絵のパターンが段々増える、といった一体化の感覚もあります。こういうものは分岐やフラグに直せる部分もありますが、全てではないでしょう。もっと言うと、誰が犯人か? という興味が持続している段階での二次創作のキャラはまた違った雰囲気になります。続編の遅延にある程度意味があるのです。分岐に直して徹夜でクリアされてしまうと、出てこないような何かです。もちろん逆に分岐でないと表現できないことがありますが、さしあたって一人称を離れた視点の記述はTIPSに回すことで、物語に幅を持たせています。


特に鬼隠し編終盤の、圭一がレナの行動を回想するTIPSは、面白いと感じるので、更に詳しく見てみましょう。TIPSは、警察側の動きなど、子供の主人公が知りえない部分を神の視点で描くというパターンが多いのですが、この回想では主人公に視点が戻ってきて、しかも空間的な他の場所ではなく時間的な逆戻りをしており、さらに客観的・中立的・静的・補足的な、つまりは安全地帯のように思われていたTIPSを、物語に引き擦り込んでいます。しかもそれが雛見沢という場所自体が中立性をなくしていく、あるいは主人公自体が客観性をなくしていく、そういう過程と結びついています。「メタ」という言葉を使う場合に、何か大所高所から斜めに見る、というようなことではなく、こういう細部にこそ見出したいと考えています。


Phase(8)「テキストとストーリー」 Phase(8)「テキストとストーリー」 - 萌え理論Rosebud を含むブックマーク

前回はゲームの形式と内容の関係について見てみました。今回はテキストとストーリーの違いについて更に掘り下げてみましょう。だんだんノベルゲームの問題意識に近づいて来ました。ノベルゲームにおいて選択肢は文章を読む順番に関わってきます。これはただの読む順番であって、物語の本質には関係ないかというと、それがそうではないのです。


前回、テキストとストーリーを分けたことを思い出しましょう。コンプリートしたときに、(未読の)テキストを読んだ量の合計は、どのような選択肢を辿っても、ふつうは変わらないでしょう。しかしストーリの質は微妙に異なるのです。なぜなら、プレイヤーには記憶があるからです。それが無のテキストとなって効果を発揮します。どういうことか。


選択肢Aを選んでから選択肢Bを選ぶのと、選択肢Bを選んでから選択肢Aを選ぶのは、単なるテキストのレベルでは変わらないのですが、ストーリーのレベルでは変わります。例えば、選択肢Aに謎があって、選択肢B側のルートで明かされるという場合、Bから先に行くとAの謎を楽しめません。ミステリーで結末から読むとつまらないのは自明でしょう。これは、そのサスペンスの効果を選択肢という形で横にしただけです。


コンプリート後の回想ではそういう微細な経路の効果が消えています。記述の意味が確定していて、ミステリを二回目に読むようなある種の平板さを感じます。『動ポモ』では「YU-NO」の「メタ並列世界画面」がデータベース的だという側面が強調されていましたが、むしろここでは横から見た選択の効果が、上から俯瞰したのでは分からない、という部分を強調したいと思います。メタに見てもそれが「全てではない」のです。

*1:プログラムのレベルの分岐と反復とは別になります

*2:作中では「ルールX・Y・Z」と呼ばれますが、ここでは深入りしません