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萌え理論Rosebud

2006-11-12美少女ゲームのインタラクティブ・インターフェイス論(11)

Phase(11)「プレイヤーと主人公」 Phase(11)「プレイヤーと主人公」 - 萌え理論Rosebud を含むブックマーク

プレイヤーと主人公

簡単のためにまずは、選択肢があるノベルゲームに即して考えましょう。プレイヤーとはゲーム外から選択肢を思考して選ぶ主体であり、主人公とはゲーム内で選択肢を選び行為する主体です。


これを逆に一本道のメディアに当てはめてみましょう。例えばここでは『ドラえもん』の主人公はドラえもんではなくのび太だと考えますが、それはドラえもんには実質的な選択肢が乏しいからです。いわばNPC(ノンプレイヤーキャラクター)なのです。しかし選択肢があるのなら主人公になります。例えば未来に帰るかどうか選べるとか。


選択肢の主体としての主人公に属性は関係ありません。年齢性別はもちろん、人間でなくても構いません。その上で実際には、一般的に選択肢が広く取れる存在が主人公になります。どんなにありふれた平凡な存在であっても、選択肢を与えることで主人公になるのです。逆にどんなに個性的であったり有能であっても、選択肢が貧しいと主人公になりにくいでしょう。


視点と人称

近代小説の語り(ナラティブ)は、神の視点を排する方向で進んできました。前近代的な共同体のまとまりが弱くなったことなどの時代背景も手伝って、超越的な全体的を俯瞰できる視点が使いにくくなり、どうしても個人の視野に視界が限定されます。


具体的に言うと、Aさんが何々と思った、そのとき、Bさんが何々と思った、と同時に二者以上の内面描写を避け、一元描写を取るのが無難な書き方です。二者以上の内面を書きたいときは、章ごとに主人公を変えるのがよくある方法です。実際には多元描写がいけないという決まりはありませんが、その辺の小説作法などには、初心者はそうするようにと書かれているでしょう。以上は退屈な確認に過ぎません。


ところが、これがノベルゲームになると少し事情が違ってくるのです。例えばザッピングシステムというのがあって、主人公を頻繁に変えることができます。もちろんクロスカッティングなどの技法は昔からありましたが、それは少し違った流れだと思います。これは章ごとに主人公を変えるという縦の間隔を、横倒しにしたものだと考えています。ここで「縦」というのは文章量や物語内時間の距離ですが、「横」とは何を指しているのか。さしあたって空間的距離があれば分かりやすいですが、もう少し掘り下げると、選択肢の飛躍や行為の連関の密度が関係してきそうです。


最後に人称の問題を扱います。一人称か三人称かという違いを選択肢から眺めてみましょう。一人称の場合はプレイヤー=主人公が選んでいるという感覚が生じやすいのに対して、三人称の場合は、主人公が選んでいて、プレイヤーはその物語を選ぶことができる(TVのチャンネルを変えるような感じで)という感覚が生じやすいでしょう。


つまり、一人称は視界が主人公に近く、三人称は語り手に近い、という違いです(もちろん個々の作品の書き方で違います)。冒頭でゲーム外から選択肢を選ぶと言いましたが、そのとき「選ぶ」という自由意志に実体がないことが影響して、選び方の解釈が分かれるのです*1。このほかニ人称が小説に比べて自然に導入できるというのも興味深いところです。

*1:しかし先に定義したゲームは関数であるというテーゼはどうなったのでしょうか。それを適用すると、三人称の場合を厳密に記述すると、グッドエンドに到達する主人公の選択を見るというリプレイの選択をするゲームになるでしょうか。しかも本当は人称ではなく行為の虚構的な因果の問題で更にややこしくなるでしょうか。いや、元々入力と出力の対応に過ぎないのだから、人称はストーリーの問題に含まれ、ゲーム形式とは別でしょう。もっとも、私的にはここら辺はわりとどうでもいいことに思われるので、あまり深く考えないで適当に省きます