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萌え理論Rosebud

2007-02-05場所論-1

「美少女ゲームにおける場所の発見」を読む 「美少女ゲームにおける場所の発見」を読む - 萌え理論Rosebud を含むブックマーク

美少女ゲーム年代記 - こぐにと。 cognit. - 美少女ゲームにおける場所の発見

少し間が空いたので連載に戻る前に、同グループのエントリを読み、問題意識を養おうと思います。上記の記事はcogni氏の濃密な思考が非常に興味深いのですが、(ブラウザの見栄え上で文字が詰まっているとか表示のレベルにおいても)文章が読みにくいところもあると思うので、乱暴に単純化して要約します。さらに、身近なゲームや近い文化に話題を関連付けてみます。

第一・第二段落

  • 場所と日常の関連性
    • 場所は第一義的に物理的・空間的に規定され
    • 第二に政治的・社会的な権力関係による規定を受ける
    • 規則を作り上げる場所と、規則によって定義される日常

まず最初の段落を見ると、空間的場所と権力的場所の二つの意味があることが分かります。例えば「学校・会社に遊び道具持ってくるな」「場所をわきまえろ」という禁止の発言が典型的ですが、場所→権力→規則→日常という流れがあります。

日常の発見=構成という観点から空気系などと呼ばれる漫画作品群を考えれば、背景や場所性、もしくはそれに付随する規則の緩やかさに空気を感じる原因が求められる

次の段落では、空気と場所の関連に触れています。「空気読め」という風に、空気は流動的なその場の権力として捉えられるでしょう。場所、特に建物に付随した権力がお堅い規則なら、空気は不定形で常に微妙に変化する権力です。

場所・ミステリ・ひぐらし

ところで要約から少し離れると、場所と日常の結びつきの強さには全く同意しますが、場所を異化するのもまた近代的な物語の技法でしょう。具体的に言うと、ミステリのことです。ミステリ系のADVをやると、殺人事件が起きる前と後では、同じ背景画像を使っていても、心理的光景は一変します。クローズドサークルものの舞台全体がそうなんですが、特に「密室」という場所は、非日常的場所の代表です。私の感覚では、「ひぐらしのなく頃に」は鬼隠し編の光景の変化が面白かったのですが、「ひぐらし」ではミステリのコードを放棄して、ミステリの場所性(「雛見沢」の特殊性)だけ頂いた格好になっています。

第三・第四段落

  • DerridaのKhoraという概念
    • 名づけとdisplacement(置換)が特性に挙げられる
      • 自証的ではなく、metonymy(換喩)に依拠する操作
    • Khora(core)は常に空白であり、たどり着けないままでありつづける
    • いかなる反復にも不可避的に含まれるdifferance(差延)を隠蔽する構造

第三段落は、かなり難解になっています。結論から言ってしまうと、「Khora」というのは、要するに場所のことです。ただし意味の含みが多く、「常に空白」「差延を隠蔽」と説明されていますが、まだ曖昧です。ここで「後期西田幾多郎の『無の場所』における『絶対矛盾的自己同一』」と関連付けたりすると、ますます批評的批評言語になっていきます。もっとシンプルに考えましょう。

教室という場所を指示する際、空気もしくは教室の卓、机、椅子、床などを指示せねばならず、指示は常に場所そのものではない場所を指示し、確定的な指示から逃れ続けるという構造が発見=構成される。

第四段落で、「指示」という単語があり、要するに指示の話だと分かります。「置換」「換喩」は比喩的指示でしょう。実は画像では教室全体を指示できず、断片的にしか指示できないという、自明なようで意外と見落としやすい事実を指摘しています。いや、教室の背景は一枚で示せる、と思うかもしれませんが、教室の四面の壁と天井・床を一度に画面内に収めるのは、(パノラマならともかく)ふつうの画面構成ではまず無理でしょう。

指示・ミステリ・FLASHゲーム

また少し脱線すると、この指示の断片性・間接性が生きてくるのも、やはりミステリだと思います。「推理」というほどではありませんが、部屋から脱出するFLASHゲームでは、一つの部屋を色々な角度から見ていきます。そこでは、ベッドの下の隙間をクローズアップしたり画面が切り替わるので、物理的な広さよりずっと広く感じます。また秋葉原は、私の実感としては実際の敷地面積よりも広く感じます。一般に道に迷うと広く感じると思います。「慟哭」や「蘇生」などの閉鎖空間系の美少女ゲームは、この狭い場所が広く思える感覚があります。その感覚をベースにして、単なる女子校生に、運命的なヒロインという役割を読み込めるようになります。

第五・第六段落

  • 美少女ゲームは絵とテクストと音楽とが融合した表現を持つジャンルである
  • 美少女ゲーム作品特有の叙情性・叙事性・叙景性は言葉や内面だけでは捉えられない
  • キャラクターは常にどこかの場所にあり、場所は常に存在者の意識を規定する

第五段落、場所と切り離せないというのは今まで見てきた主張です。

  • 反復によって規則の存在を自明なものとして変化させていく結果「普通」が生れる
  • キャラとともに時間を過ごすことで、記憶が蓄積し、場所は徐々に特権性を獲得する
  • 物語が場所や時間を規定するのではなく、場所と時間の共同作業が物語を作り上げている

第六段落、やや主張の関係が不透明ですが、物語→時間・場所というトップダウン的な視点ではなくて、時間・場所→物語というボトムアップ的な視点への転換がポイントになると思います。ところで「物語進行におけるある点時間の特異性」というのは、クリック型ADVのアクション時の場面を連想します。相手に殴り掛かる・殴られるまでに画面をクリックできて、しかも「今はそんなところを見ている場合じゃない!」などと主人公の内語が入るので、非常に奇妙な感覚があります。一球投げるのに一回の連載を使う野球マンガなんかに似ています。クロノス時間とカイロス時間という違いかもしれません。

背景・二次創作・脳内補完

ここでも脱線しますが、「物語内容やキャラクター、その言葉や内面といった極度に可視的なものにしか目を向けないという倒錯的な嗜好」による「貧しい思考の制限」は、(主に成人向・二次創作の)同人的な感覚だと思います。後で「漫画では極端なまでに同じ背景が少なく」という一節が出てきますが、マンガの中でも同人マンガは、そもそも背景が描かれないことが多いのです。

市場を観察すると、同人誌には背景が描かれないことが多く、ただ空白の空間が広がっていることがよくあります。そこではキャラクターは場所から切り離されて存在し、読者の記憶による脳内補完によってかろうじて場所を得ています。読者の注目はキャラへの(性的な)興味に固定されるので、コスト的にどうしてもそうなります。

そこでは、性的な露骨な表現よりも、むしろそれが隠蔽する、場所性を無視した観念的なキャラの捉え方を、「貧しい思考の制限」として批判できるかもしれません。ただ私自身はそういう記号の物質化・物象化による疎外には可能性もあると考えています。例えば、「コードギアス」の(ネットで不評な)OPテーマを「まなびストレート」のOP映像に結びつけたMADがあって、私的には凄く良くなったという印象です。ここでは疎外が自由の条件になっています。ちなみに「コードギアス」も「まなびストレート」も場所をよく描いています。

第七・第八段落

  • ノベルゲームの制約によって、反復される日常という風景が形作られた
  • 女の子と話す快楽のルーティンワークをこなすことで誕生した日常
  • 同じ画面の繰り返しを貧しさとは捉えず、豊かさとして捉える

第七段落、日本のリミテッドアニメが制約の中で工夫して独自の表現になっていった、というような話でしょうか。反復する貧しい環境を豊かな表現に変えるのが、プレイヤーの注目をひきつける女の子のキャラクターとその日常という枠組みなのでしょう。

RPGにおいては物語論的な運動の要求により場所の移動が不可避であったが、美少女ゲームは場所の反復が不可避であった。

第八段落、上の引用部は、私がかなり面白いと思った記述です。「RPGは場所を移動する」というのは、あまりに自明なのでかえって見落とします。物語の進展とレベル上げに連動して、少しずつ新しい場所に移動します。「物語論的な運動」というのはおそらく、矛盾が高次のレベルで統合されていく(弁証法的)運動なんだと思います。例えばドラクエ4は特にそういうシナリオになっています。個々の登場人物の問題が、ラスボスと対決する物語に一元化されていきます。最初は章ごとにバラバラだった場所が、後半では全体マップから見たローカルな場所に感じられるようになります。ドラクエもFFも、飛空挺を手に入れてしまうと、移動範囲が広くなるはずなのに、世界が狭く感じられます。少なくとも私はそう感じます。それは断片が一枚に統合されたからでしょう。

日常だけではなく、旅という非日常をテーマにした美少女ゲームも、もちろんあります。しかし、ノベルゲームという形式で非日常という内容を描くのは難しいのか、成功例は少ないように思われます。例えば「センチメンタルグラフティ」は、前評判に比べてゲーム自体の評価は芳しくありませんでした。続編では普通に遊べますが、今度は普通の場所移動ADVになりました。「お嬢様特急」の場合、旅行という非日常に対して、寝台列車という中間領域を設けており、そこそこ成立しているように思われます。また、端的に「RPG型美少女ゲーム」もあります。例えば「ソフトウェアぱせり」の「夢幻の迷宮」シリーズがそうです。ここでもやはり、生成するダンジョンというように、場所の移動を反復の範囲内に留めています。

場所・移動・MMORPG

場所を移動しないとRPGはつまらなくなりそうですが、MMORPGでは対人のチャットが主な興味になるので、いつも同じ場所で集まるといった遊び方もできます。ただし、ここで対人への興味が勝り過ぎると、そもそもゲームじゃなくて掲示板やSNSでも何でも別にいい、という風に自己否定的になってしまいます。そこでSecondlifeというのがあって、そこでは自分で土地を購入できるシステムが採用されています。

まとめ

  1. 空間的場所は権力的場所でもあり、規則的日常を形作る
  2. 場所の指示は断片的・間接的で、常に意味の空白が残る
  3. 物語が場所を決めるというより場所と人物が物語を産む
  4. 制約による反復の貧しさを日常の豊かさとして表現する

整理しましょう。美少女ゲームにおける場所は、単なる地理的空間だけではなく、日常の規則を作る場所でもある。場所と人物の結びつきは記憶の蓄積によって、時間を掛けて物語を形成する。それは、ノベルゲームの制約された環境による貧しい反復を、むしろ日常の豊かさとして表現する技法であった。そして、物語と文章や人物と内面だけではなく、美少女ゲーム作品特有の叙情性・叙事性・叙景性を捉えられるようになるというわけです。

場所・運動・生成

このようにまとめましたが、今までの展開で取りこぼした論点はないでしょうか。私の不満点は、「DerridaのKhoraという概念」が全体から見ると宙に浮いているところにあります。しかも、余分なのではなくて、それに注目すると全体の論旨をひっくり返しかねません。どういうことか。

私は「場所が動的に生成する」ということを考えています。例えばネットのハイパーリンクは地理的な空間ではなくて、意味的なつながりで成立している空間です。サーバ・サイトによっては、文字通りページを動的生成することもできます。

そして、今まで挙げた例が、このテーマに密かに結びついています。例えば二次創作というのは、原作を無限に分割して拡張するだけでなく、それぞれの読者の記憶に応じて、物語の文脈や背景は動的に生成されます。

そして全体は個の総和より大きく、精神的には私的な剰余空間が生まれる、といった場所の生成は、人物と物語を産む力になります。それは、地理的空間に権力的空間が付随しているという図式を反転します。規則が先行していて、それへの関心に応じて、空間を分割して場所が生成するのです。

例えばADVで何かを思い出した瞬間、部屋の視点が新しく増えるといった場面に対応しています。これは、最初から既に無限の視点が全て虚構内の空間に内包されているという解釈もできますが、私は動的に生成されるという立場を取ります。それはつまり、「インタラクティブ」ということに他なりません。